観光 - 韓国旅行情報

ソウル貞洞教会(서울 정동교회)

ソウル貞洞教会(서울 정동교회)

2020-08-31

ソウル特別市 中区 貞洞キル46

ソウル貞洞教会は韓国で最初のプロテスタント系の教会です。1885年、アメリカのメソジスト監理教会の宣教師アペンゼラーは、韓国に入国し培材学堂を建て、近代教育を始めました。彼は学校で宗教活動をしましたが、礼拝のための建物も購入し、ベゼル礼拝堂と名付け、1887年から礼拝を始めました。教員たちが増えるにつれて500名ほどを収容できる規模の教会の建設が必要になり、1895年に工事をはじめ、1897年12月26日に奉献式を開きました。この建物は現在まで唯一残る19世紀の教会建築です。
建物の構造は1階建てですが、天井が高く2階建てに見え、南側の鐘つき堂は3階建てです。アメリカ式の単純化されたゴシック様式で、建設当時の写真を見ると、近所の瓦屋や徳寿宮とも調和しています。ここでは多くの討論会や音楽会などが開かれ、キリスト教文化の受容と民族意識の鼓吹に大きく貢献しました。竣工当時は十字型で115坪だったものを1926年に両側部分を建て増しし、現在は175坪ほどになりました。建て増しという形式のため、竣工時の建物は当時の姿のままで、損傷はありません。建物はレンガ造りで、所々にアーチ型の窓を作りゴシック様式の単純化された教会堂の姿を作り出しています。レンガをまっすぐに積んだ造りからは、朝鮮時代の木造建築の職人の技が垣間見えます。この教会堂の鐘は装飾のない内部の柱とともに素朴な雰囲気を持っています。全体的に素朴な雰囲気を持っている北米系統の単純化された教会建築です。

所有者:監理教財団
面積:1,143.8平方メートル

望祥海岸(망상해변)

望祥海岸(망상해변)

2022-11-30

カンウォン道トンヘ市トンヘデロ6270-10

望祥(マンサン)海岸は墨湖港から北へ3キロメートルほど離れた国民観光地で、玉渓、鏡浦の両海水浴場とともに東海沿岸有数の観光スポットです。広々とした砂浜や鬱蒼と生い茂る樹齢20年から30年ほどの松からなる松林、澄んだ海水、傾斜度2度から4度、平均水深0.5メートルから1.5メートルほどの遠浅の海岸など、東海沿岸の海水浴場の中でもっとも広く、快適な環境を誇ります。駐車場、キャンプ場、シャワー場、公衆トイレやさまざまな施設も完備しています。海水浴場のすぐ近くにはオートキャンプ場があり、家族連れに人気があります。近くには泉谷自然洞窟、武陵渓谷や湫岩チョッテパウィ(燭台岩)をはじめ、南には魯峰・大津・於達・ハンソム・甘湫・ 湫岩などの海水浴場が数多くあります。近くの墨湖港とともに江陵から三陟に続く海岸観光地のひとつで、イカやサザエ、ナマコ、ホヤ、ヒラメなど海の幸も豊富なところとして知られています。

烏頭山統一展望台(오두산 통일전망대)

烏頭山統一展望台(오두산 통일전망대)

2022-09-13

キョンギ道パジュ市タンヒョン面ピルスンロ369

「烏頭山(オドゥサン)統一展望台」は1992年にオープンし、2000年7月には訪問客が1,000万人を超え、南北分断の現実を肌で感じられる場所として外国人観光客も数多く訪れる国際的な観光名所となっています。
烏頭山頂上にある統一展望台からは北韓の開城市にある松嶽山と韓国ソウルにある63ビルディングを見ることができます。
烏頭山統一展望台は戦艦の形をした地上5階・地下1階の石造りの建物で建築学的にも評価を受けており、建築を学ぶ学生が見に訪れることもあるほどです。1階・2階の展示館には北韓の暮らしと韓半島の過去、現在、未来が分かる写真や映像資料が準備されています。

第3地下トンネル(제3땅굴)

第3地下トンネル(제3땅굴)

2024-02-29

キョンギ道パジュ市クンネ面チェサムタンクルロ210-358

第3地下トンネルは、北韓が韓国を侵攻する目的で作ったトンネルのうち3番目に当たる1978年に見つかりました。今まで見つかった4つのトンネルのうちソウルから最も近いです(約52キロメートル)。総延長1.6キロに幅が2メートルで、1時間当たり約3万名がこのトンネルで移動することができると推定されます。事前予約が必要で、臨津閣(イムジンガク)から出発します。パスポート、外国人登録証などの身分証明書を持参する必要があります。

坡州 臨津閣(平和ヌリ公園)(파주 임진각(평화누리공원))

坡州 臨津閣(平和ヌリ公園)(파주 임진각(평화누리공원))

2022-12-20

キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ177

臨津閣(イムジンガク)は韓国戦争の悲劇が残る場所です。戦争の痕跡を見学し、平和の大切さを学ぶことができます。多くの戦争遺物が散在しており、青い芝生が広がる平和ヌリ公園や展示館もあり、多くの観光客が訪れています。

臨津閣一帯は韓国戦争で激戦地となったところです。戦争が始まったころに爆破され、現在まで残っている「臨津江鉄橋」や、共産軍の捕虜となっていた韓国軍と国連軍が自由を求めて渡った「自由の橋」があります。北韓失郷民のために臨津閣が建てられ、臨津閣観光地に指定されました。現在は平和ヌリ、臨津閣平和ゴンドラ、6.25戦争拉北者記念館、遊園地などの新しい施設ができ、大規模な観光スポットとなりました。

戦争遺物
1.臨津閣
2.望拝壇
3.自由の橋
4.京義線チャンダン駅の蒸気機関車
5.参戦記念碑・追慕碑

板門店(판문점)

板門店(판문점)

2024-02-29

キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ148-40

板門店(パンムンジョム)は、韓国戦争(1950~1953)の休戦を告げた停戦協定が結ばれた場所です。ソウルから北側にわずか50キロ離れた非武装地帯(DMZ)に位置しています。今でも韓国と北韓が会談をしたり、北韓軍を目の前で見ることもできます。民間人立入禁止区域であるため個別観光は不可能で、国連軍司令部が指定した旅行会社を経由して事前に予約しなければなりません。パスポート、外国人登録証などの身分証明書を持参する必要があります。

乙支展望台(을지전망대)

乙支展望台(을지전망대)

2024-09-02

カンウォン道ヤング郡ヘアン面フ里621

※施設工事により2024年9月30日(予定)まで臨時休館

乙支(ウルチ)展望台は楊口(ヤング)の北東27キロメートル、軍事境界線から1キロメートル南の地点にある亥安(ヘアン)盆地の縁をなす加七峰(カチルボン)の尾根にあります。
1987年12月12日、全国経済人連合会(全経連)会長団が陸軍第1862部隊を訪問し安保教育館の建立を申し入れ、1988年5月31日1億2,500万ウォンを部隊に寄託、乙支展望台が建設されました。
乙支展望台は軍事境界線北側にある金剛山(クムガンサン)の毘盧峰(ピロボン)など金剛山の内陸寄り・内金剛(ネクムガン)を一望できる海抜1049メートルを誇る軍事境界線付近の最前線安保観光地で、毎年およそ10万人の観光客が訪れ、安保教育の場として重要な役割を果たしています。
乙支展望台は高さ10メートル、建築面積約324平方メートル(98坪)の2階建て鉄筋コンクリート造の建物で、軍作戦道路として使われていた乙支展望台までの7キロメートルを地元・楊口郡が舗装工事を行い、1998年2月からは一般の観光客を対象に日帰りに限り出入許可が出るようになりました。

第2地下トンネル(鉄原)(제2땅굴(철원))

第2地下トンネル(鉄原)(제2땅굴(철원))

2024-03-20

カンウォン特別自治道チョルォン郡トンソン邑ヤンジ里

第2地下トンネル鉄原(チョルォン)は、北韓が韓国を侵攻する目的で作ったトンネルの1つで、1975年に発見されました。総延長は3.5キロメートルですが、一般人が観覧できるのはそのうち500メートルだけです。DMZ平和観光コースでのみ訪問でき、予約が必要です。パスポート、外国人登録証などの身分証を必ず持参しなければなりません。

月井里駅(월정리역)

月井里駅(월정리역)

2021-05-17

江原道 鉄原郡 鉄原邑 トゥルミ路 1882

月井里(ウォルジョンニ)駅は非武装地帯(DMZ)南側限界線に最も近くにある鉄道駅です。
月井里駅にやってくると「鉄馬は走りたい」と書かれた看板のそばに止まったままの列車があります。1950年に勃発した6.25戦争(韓国戦争)当時、北韓軍が撤退する際、先頭の機関車のみを撤収したため、現在は残りの客車部分のみ置き去りにされています。6.25戦争当時最も激烈な戦闘を繰り広げた通称「鉄の三角地帯」にある月井里駅に止まったままの列車は、韓国の分断の歴史を象徴的に物語るシンボルです。
現在鉄原(チョロン)・月井里駅(鉄の三角展望台)は鉄原郡が安保観光コースとして管理しており、毎年数多くの観光客が訪れます。

※民間人統制区域
1953年の休戦以降、南北を分ける軍事分界線(通称「38度線」)を設定、この線を境に南北それぞれ2キロメートルの幅のエリアをDMZ・非武装地帯としお互い軍隊の出入りを統制しています。
韓国はその非武装地帯の南端・南方限界線からさらに南に5~20キロメートル幅の地域を設定、ここを民間人統制区域または民間人出入統制線と呼び、許可なく一般民間人の出入を制限しています。

湫岩海岸(추암해변)

2022-07-12

カンウォン道トンへ市チョッテパウィギル26

湫岩海岸(チュアムヘビョン)は奇岩怪石が並ぶ海岸絶壁と砂浜が美しい海岸です。湫岩海岸は日の出の名所として有名で、チョッテバウィ(燭台岩)は年中旅行客が訪れる名所の中の名所となっています。チョッテバウィから200メートルほど離れた海上の吊橋はもう一つの見どころとなっています。海を渡るように奇岩上に設置された長さ72メートルの湫岩チョッテバウィ吊橋はスリルが味わえると同時に東海を背景に思い出に残る写真を撮ることのできるフォトゾーンでもあります。チョッテバウィから吊橋に向かう途中には、北坪海岩亭という亭子(東屋)があります。1361年、三陟・沈氏の始祖である沈東老が官職を退き、老後を送るために建てた東屋で、現在みられるのは1790年頃に修復された姿です。吊橋の端は湫岩彫刻公園につながっているため一緒に見て回るとよいでしょう。