観光 - 韓国旅行情報

致命者山聖地(치명자산성지)

致命者山聖地(치명자산성지)

2024-04-07

チョンブク特別自治道 全州市 完山区 パラムセェヌンキル 89

全州市の東南に位置する寒碧堂の裏に僧岩山という山があり、その山の険しい峰に天主教(カトリック教)の聖地「致命者山」があります。岩の上に高さ4メートルの石で造られた十字架があり、その横の崖のところに聖堂が建られました。この聖地は世界で唯一の童貞夫婦(性関係を持たない夫婦)である柳重哲(洗礼名ヨハン)と李順伊(洗礼名ルガルダ)とその家族が眠っている場所です。

1800年代のキリスト教の迫害期に家族7人が殉教し、ここに葬られています。そのうちの一人・柳恒倹は、完州郡伊西面チョナム部落で生まれ、全羅道で最初の天主教の信者として斬首されました。息子の重哲とその妻の順伊は篤実な信仰生活を送るため童貞夫婦を貫き、結婚して4年で斬刑に処されました。寒碧堂の周辺からも致命者山の十字架が見え、聖地として造成されてからは巡礼者がひっきりなしに訪れる名所となりました。柳重哲と李順伊の墓が頂上に安置されており、頂上の崖には花崗岩でできた記念聖堂があります。童貞夫婦の殉教者の墓の上には「奇跡の岩(イエス・マリア岩)」もあります。

山の急斜面を登りながら祈りをささげる「ゴルゴダの十字架の道」には、入口から山の頂上までの全区間に花の道がつくられており、散策に最適です。聖地入口には広い休息スペース(モンマルト広場)があり、森の中の駐車場(4,000坪)も整備されています。

特徴
(1)柳恒倹と童貞夫婦殉教者の墓
(2)モンマルト広場
(3)聖堂(海抜300メートルの山の頂上の崖に建てられた記念聖堂)
(4)イエス・マリア岩
(5)ゴルゴダ十字架の道
(6)祈りの花の道

剛庵書芸館(강암서예관)

剛庵書芸館(강암서예관)

2024-04-08

チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区チョンジュチョンドンロ74

芸郷・芸都と呼ばれる全州(チョンジュ)。この芸郷・芸都の雰囲気を味わいたい方におすすめの場所がここ、「全州市 剛庵書芸館」です。
全州のシンボル・豊南門(プンナムムン)、慶基殿(キョンギジョン)、東には梧木台(オモクテ)、郷校(ヒャンギョ)、寒碧堂(ハンビョクタン)などがある校洞(キョドン)全州川沿いに1995年オープンした「全州市剛庵書芸館」は、芸術をこよなく愛する人々で常にあふれている場所です。
代々、書芸の伝統を受け継いできた、地元全州生まれで書芸界の大家・剛庵(カンアム)宋成鏞(ソン・ソンヨン=1913~1999年)の志を引き継ぎ建てられたこの剛庵書芸館は、朝鮮時代後期の文臣で書画家でもあった秋史(チュサ)金正喜(キム・ジョンヒ)、朝鮮時代後期の書芸家・蒼巌(チャンアム)李三晩(イ・サムマン)、朝鮮時代中期の画家・壇園(タノン)金弘道(キム・ホンド)の作品や、朝鮮時代後期の儒学者・茶山(タサン)丁若鏞(チョン・ヤギョン)の簡札を含む作品など1162点が展示されている韓国唯一の書芸のみを扱った展示館です。
また、「全州市剛庵書芸館」から200メートルほど北には、近年、東学革命を記念する東学革命記念館が建てられ、東学運動の足跡を垣間見ることができます。

寒碧堂(한벽당)

寒碧堂(한벽당)

2024-05-23

チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区キリンデロ2

全羅北道の有形文化遺産に指定されている「寒碧堂(ハンビョクタン)」は、1404年に朝鮮開国の功臣・崔湛(チェダム)の別荘として建てられた楼閣です。
僧岩山の山麓の断崖にあるため絶景で、特に目の前を流れる全州川とは絶妙のバランスをなしています。かつて多くの文人がここを訪れインスピレーションを得たことから、寒碧晴煙(寒碧堂から眺める霧が美しいという意)といわれ、全州八景のひとつに数えられています。

全州殿洞聖堂(전주전동성당)

全州殿洞聖堂(전주전동성당)

2024-05-24

チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区テジョロ51

史跡に指定されている「殿洞(チョンドン)聖堂」は、朝鮮時代にカトリック教徒が殉教した跡地に建てられました。朝鮮時代の全州には全羅監営が置かれていたため、殿洞はカトリック教会史において殉教地のひとつとなりました。この地で殉教した人々を称えようと1891年にフランスのボドネ(Baudenet)神父が敷地を購入し、1908年に聖堂の建築に取りかかり、1914年に完成しました。また、この聖堂は、ソウルの明洞聖堂と同じ神父により設計されました。
灰色と赤いレンガを利用して建てられた建物の外観は、ソウルの明洞聖堂と似ており、ビサンチン様式とロマネスク様式が併用された建物は、初期のカトリック聖堂の中でも特に美しい建物として知られています。湖南地域で最初に建てられたロマネスク様式の建物で、聖堂の建築に使用されたレンガの一部は、当時、日本統監府が全州邑城を壊したことで出た土を焼いて作ったレンガが使用されたとされています。

全州豊南門(전주 풍남문)

全州豊南門(전주 풍남문)

2024-05-29

チョンブク特別自治道チョンジュ市ワンサン区プンナムムン3ギル1

豊南門(ナンプンムン)は旧全州邑城の南側門で、丁酉再乱の際に破壊されたものを1734年に城郭と城門を建て直し明見楼と呼んでいたものです。「豊南門」という名称は1767年に火災に遭い、観察使ホン・ナギンが1768年に再建し名づけました。純宗の時代、都市計画により城郭と城門が撤去され、豊南門も多くの損傷を受けました。その後1978年から始まった3年間の補修工事で昔の姿を取り戻しました。規模は1階が前面3間・側面3間、2階が前面3間・側面1間で、屋根は側面から見ると八の字型をした入母屋造。

江村遊園地(강촌유원지)

江村遊園地(강촌유원지)

2024-09-23

江原道 春川市 南山面一帯
+82-33-250-3896

春川を代表する行楽地の一つで、北漢江と江村川に面しており、景色が良くて周りには九曲瀑布、登仙瀑布などの滝、三岳山など観光スポットがたくさんあります。公共交通機関を利用するのに便利で、遊べる施設や宿泊施設が多く、1970~90年代には若者たちの合宿のメッカとして人気を集めました。しかし、2010年に京春線複線電鉄が開通すると江村駅の駅舎が移転し、訪れる人が減少して商店街もさびれてしまいました。これを受け、江村のかつての名声を取り戻そうという動きが起こりました。旧江村駅近くに大型の「トオリ江村」のオブジェが設置され、江村の名所だった吊り橋(正式名称は登仙橋)も縮小して再現されました。江村一帯に飛来する冬の渡り鳥コウライアイサ(天然記念物)を旧江村駅の駅長のモチーフにしたトオリ江村は、フォトスポットとして人気です。韓国初の吊り橋でしたが1985年に撤去された橋を再現した現在の吊り橋は、長さ58メートルの観光型歩行橋となっており、誰でも歩いて渡ることができます。スリルあふれるバイキングで有名な遊園地の江村ランドと川辺を走る四輪バギーは、今でも江村の代表的なレジャーとして人気です。

孔之川(黄金の鱗テーマ通り)(공지천(황금비늘테마거리))

孔之川(黄金の鱗テーマ通り)(공지천(황금비늘테마거리))

2022-11-30

カンウォン道チュンチョン市エチオピアギル25

春川は水と霧の都市です。ソウルに漢江があるとすれば、春川には孔之川(コンジチョン)があります。孔之川は「水郷」春川を代表する思い出とロマンの空間であり、数多くの文化人たちの芸術的感受性を刺激してきた場所です。春川の作家・李外秀にとって孔之川と依岩湖は人生と文学の故郷であり、彼のベストセラー『黄金の鱗』の背景となった地でもあります。孔之川は、水・湖・霧・思い出・ロマン・文学・芸術が宿る春川のシンボルです。そんな孔之川を地域の特性と芸術や環境を結びつけ、小さなテーマパークとし、多くの文学作品を通じて春川を語る李外秀の代表作『黄金の鱗』をテーマとした文化通りを設けました。また、周辺には彫刻公園、噴水、ボート乗り場、河川敷、キャンプ場、戦跡記念館、子ども会館、エチオピア参戦記念碑などもあります。

春川明洞通り(춘천명동거리)

春川明洞通り(춘천명동거리)

2024-02-28

カンウォン特別自治道チュンチョン市チュンアンロ1ガ
+82-33-250-3089

春川(チュンチョン)明洞(ミョンドン)通りは、ソウルの明洞と同じ名前を持つ春川の繁華街です。規模は大きくありませんが、若者の街である育林峠(ユンニムゴゲ)と繋がっており、商店やショッピング街があるため、多くの人が訪れます。映画館、カフェ、官庁、銀行、地下商店街などが混在しており、春川グルメの代表格、タッカルビ通りが中央市場と繋がっています。 

徳津公園(덕진공원)

2024-04-08

チョンブク特別自治道 全州市 徳津区 権三得路390
+82-63-239-2607

「徳津(トクジン)公園」は徳津湖の周囲につくられた公園で、7~8月には徳津湖面を蓮の花が埋め尽くすことで有名で「蓮の花祭り」も開かれます。
蓮の花は人ほどの大きさのものもあり、蓮の花でいっぱいの湖を見ると誰しも驚きます。湖を横切るようにかけられている橋も有名で、橋の上から満開の蓮の花を眺めるとどこか別の世界にいるかのようです。また、「蓮の花水辺のステージ」で繰り広げられる噴水ショーも見事です。

春川明洞タッカルビ通り(춘천 명동 닭갈비 골목)

2022-12-22

カンウォン道チュンチョン市クムガンロ62ボンギル9-1

春川の中心街である明洞にあるタッカルビ専門店が集まる通り。春川タッカルビは、1960年代に豚肉の代わりに鶏肉をタレに漬けてカルビのように炭火で焼いて食べられたことからその歴史が始まったとされています。その後、鶏肉にキャベツ、玉ねぎなどの野菜を加えて鉄板で炒めて食べるスタイルに変化しました。リーズナブルでボリュームがあるので、大学生や軍人に人気となり、その頃タッカルビは「庶民のカルビ」、「大学生のカルビ」という愛称で呼ばれました。1970~80年代に春川明洞の裏道にタッカルビのお店が続々とオープンし、タッカルビ通りが形成されました。現在は150メートルほどの通りの両側にタッカルビのお店が並んでいます。この通りでは、炭火タッカルビと鉄板タッカルビはもちろん、もう一つの春川の郷土料理である春川マッククスも味わうことができます。通りには春川タッカルビの歴史を説明する案内板が立っています。バラエティ番組の『無限挑戦』など、マスコミでも何度も取り上げられています。