観光 - 韓国旅行情報

大韓茶園(대한다원)

大韓茶園(대한다원)

2022-11-24

チョンラナム道 ポソン郡ポソン邑ノクチャロ763-65

「大韓茶園(テハンダウォン)」の緑茶は風味と香りが自生の茶と同じ有機農の高級茶が生産されており、茶畑は緑の絨毯を敷き詰めたような景観で、一年を通じて観光客が訪れる名所となっています。絵画のような茶畑の畦道を通り過ぎ海抜350メートルの裏山の山頂にたどり着くと、はるか向こうに海まで広がる素晴らしい風景を望めます。ドラマ『夏の香り』、『青い海の伝説』、『逆賊:民を盗んだ盗賊』のロケ地としても有名で、自然の美しさを満喫できるところです。

ピアゴル渓谷(피아골계곡)

ピアゴル渓谷(피아골계곡)

2021-02-18

全羅南道 求礼郡 土旨面 ピアゴル路
+82-61-780-2450

「ピアゴル」は智異山・老姑壇(ノゴダン)と盤若峰(パニャボン)の間に位置する渓谷です。秋の紅葉が真っ赤なのが血のように見えることからつけられた名前(血は韓国語で「ピ」)で、智異山十景のひとつに数えられています。
ここは韓国内でも有名な紅葉の名所であり、四季折々の美しさが感じられるところです。春にはツツジが満開になり、夏には森の緑が鬱蒼と生い茂り、冬は山全体に降り積もった雪が壮観を成します。渓谷の入口には智異山でもっとも大きい燕谷寺(ヨンゴクサ)など国宝級の文化財が多くあります。また入場券売り場からピアゴル山荘まで6キロにおよぶ山道の風景もとても美しいことで知られています。
渓谷もまた険しくなく、誰でも歩くことができる散歩コースとなっています。渓谷入口から三紅沼までが特に美しく、毎年ピアゴル紅葉まつりが開かれる時期には紅葉渓谷ウォーキング、特産品販売、観光写真展などのイベントが行われます。

仙遊洞渓谷(聞慶)(선유동계곡(문경))

仙遊洞渓谷(聞慶)(선유동계곡(문경))

2024-08-05

キョンサンブク道ムンギョン市カウン邑ワンジョン里
+82-54-550-6414

仙遊洞渓谷(ソニュドンゲゴク)は聞慶八景のひとつに挙げられるところです。渓谷の始まり地点に鶴泉亭、終わり地点に七愚亭があり、渓谷の両側に広がる深い森と渓流を覆う松の木が、一層風情を演出しています。見どころとして、ヨンチュ洞には李縡(イ・ジェ)が建てた屯山精舍と李縡を追慕する後学たちが彼を称えて1906年に建てた鶴泉亭が、渓谷の下流端地点には義親王が名づけたという七愚亭が周辺の景観と調和を成しています。ここに散在する石刻文字のうち崔致遠が書いた「仙遊九曲」が有名です。仙遊九曲は川の湾曲部ごとに玉霞台、活清潭、洗心台、観爛潭などの景勝地があります。

清凉山道立公園(청량산도립공원)

清凉山道立公園(청량산도립공원)

2022-07-05

キョンサンブク道ポンファ郡ミョンホ面クァンソクギル39

「清凉山(チョンニャンサン)道立公園」は昔から高僧と文人が留まった地域です。この山は奇岩絶壁が12峰を成し、洛東江が山を囲むように流れています。新羅の文武王3年(663年)に元暁大師が建てた清凉寺をはじめとする寺院や庵、寛倉の滝など数多くの見所があるところです。
清涼山道立公園の岩石の後ろには朝鮮時代の有名な学者・退溪李滉の「清凉山歌」の詩碑があります。 退溪が儒学を教えた学校である陶山書堂(トサンソダン)を建てる時、この清凉山に建てるか、現在の陶山書堂の位置に建てるか最後まで悩んだとされています。
清凉山は退溪李滉だけではなく新羅時代の僧侶である元暁義湘や名筆家・金生、学者・崔致遠などが訪れ修行した山です。そのため彼らにまつわる話が数多く残っており今でも彼らを慕う人々が訪ねてきます。

文化財

清凉寺琉璃宝殿(道有形文化財)、清凉精舍(文化財資料)

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

慶州 石氷庫(경주 석빙고)

2023-03-21

キョンサンブク道キョンジュ市イヌァン洞

「石氷庫(ソクピンゴ)」は石で作られた天然の冷蔵庫で、宝物に指定されています。505年に氷を保存したという記録があり、新羅時代のものであると考えられてきましたが、現在の石氷庫は朝鮮時代の1738年に作られたことが分かりました。石氷庫は入口が月城の中にあり、長さ12.27メートル、幅5.76メートル、高さ5.21メートルで、すべて加工された石材でできています。天井はアーチ型で、長方形の石材の3ヶ所に通風のための穴が開けられており、床の中央には排水路があります。

仙岩寺[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](선암사[유네스코 세계문화유산])

2024-09-11

全羅南道 順天市 昇州邑 仙岩寺キル450
+82-61-754-6250

曹渓山の麓の東側に位置する仙岩寺は百済の聖王7年(529年)に阿道和尚が毘盧庵を建て、新羅景文王1年道詵国師が禅宗九山の桐裏山門の禅院として今の仙岩寺を創建しました。 反対側の西側の山の中腹には有名な松広寺があります。仙岩寺の周りには樹齢数百年にもなる樫、椿、銀杏、栗の木などがうっそうと茂り、特に紅葉の季節の美しさは有名です。また、寺の前にはアーチ型の昇仙橋(宝物)があり、土台が強固な自然の岩盤でできており、中央部分の竜の頭の形がとても神秘的です。
大雄殿の前に左右に建つ三層石塔(宝物)も観光客の目を引いています。寺の伝統文化が最もよく残っている寺のひとつとして7点の宝物のほかにも荘厳で華麗な大雄殿、 圓通殿、金銅香爐、一柱門など、地方文化財12点があり、仙岩寺本殿左側の登山道から登ると高さ7m、幅2mの巨大な岩に刻まれた磨崖仏も見ることができます。 800年の伝統を超えた自生茶畑、松広寺から仙岩寺を結ぶ曹渓山登山道、清らかな渓谷の水、うっそうと茂った樹木、秋の紅葉などが仙岩寺の美しさを一層引き立てます。 また、仙岩寺付近には智異山と白雲山と同じくイタヤカエデが自生していて、毎年啓蟄の頃に美しい葉を見ることができます。

*仙岩寺七殿禅院*
全羅南道昇州邑曹渓山の東側の麓にある仙岩寺にある座禅の場所です。韓国仏教太古宗の唯一の修行の場として多くの僧侶が修行をしている修行道場です。「七殿」とは仙岩寺の左端にある七棟の建物のことを言います。また、仙岩寺の裏手には野生の茶畑が800年以上自生しています。そこで採れる新鮮な野生の茶は花開茶として好まれ、特に仙岩寺のものは最高の品だと言われています。仙岩寺の野生茶の特徴は「深く香ばしい味」と表現され、これは茶の木が杉の木と樫の木が生えている陰地で育ち、葉が柔らかく霧と湿度の高い気候により作られることに由来します。しかし、仙岩寺のお茶を味わうことは簡単なことではありません。仙岩寺の茶畑は規模が小さいため、生産量はとても少ないです。

潭陽 瀟灑園(담양 소쇄원)

2023-01-04

全羅南道 潭陽郡 歌辞文学面 瀟灑園キル17
+82-61-381-0115

「瀟灑園(ソセウォン)」は韓国の伝統様式が息づく朝鮮時代の代表的な民間庭園。梁山甫が恩師である趙光祖の死を期に出世を捨てて造った庭園で、静かな竹林の中に「安貧楽道」の風流を楽しんだ先人の情緒があふれるところです。清くすがすがしい庭園という意味の「瀟灑園」という通り、ここを訪れると静かで落ち着いた気持ちになれます。
敷地を流れる小川を中心にした左右の丘に桃の木をはじめとする多様な草木を植え、塀の下には清らかな渓流が岩の上を流れるように造られており、また渓流の上には丸木橋が架けられています。水車からながれる水の流れなども自然と人工との調和が見事で、美しい山水の姿をそのまま庭園に移したような景色となっています。

兜率渓谷(禅雲山)(도솔계곡(선운산) )

2024-04-07

チョンブク特別自治道 高敞郡 雅山面 禅雲寺路250

禅雲山(ソヌンサン)兜率渓谷(トソルゲゴク)は、高敞郡禅雲山の中にある渓谷です。禅雲山は兜率山とも呼ばれ、森が鬱蒼と茂りさまざまな形の岩が多いところとして有名です。渓谷に沿って真興窟、竜門窟、落照台、天馬峰などのすばらしい風景を見ることもでき、また兜率渓谷は深さでも有名で、山と水が互いに包むように太極模様を描いています。夏の緑、秋の紅葉、冬の雪景色など、四季折々の風景が楽しめます。

大王岩公園(대왕암공원)

2024-01-05

ウルサン広域市トン区トンデロ95

大王岩(テワンアム)公園は韓国で蔚山(ウルサン)広域市蔚州郡(ウルジュグン)艮絶串(カンジョルゴッ)とともに韓国で水平線に一番早く太陽が昇るところ・大王岩がある場所です。
散策路には森の木陰をはじめ、桜、ツバキ、ケナリ(レンギョウ)、モクレンの木がたくさんあります。およそ93万平方メートルに達する手入れの行き届いた大王岩公園のそばには、日山(イルサン)海水浴場海水浴場の砂浜が広がっています。

韓国の南東の端から東海(トンヘ)の海へ突き出すような形で出ている大王岩公園は、東海の道しるべとなる蔚気(ウルギ)航路標識管理所があることで有名な場所です。この蔚気航路標識管理所は1906年、韓国で三番目に建てられた航路標識管理所(灯台)で大変歴史があり、またこの管理所内にある松竹園(ソンチュグォン)はすばらしい思い出作りができるよう無料で部屋を借りられるようになっています。

公園敷地入口から灯台まで続く遊歩道は全長600メートルほどあり、その周囲には鬱蒼と生い茂る松林が続きます。樹齢およそ100年の美しく成長した松の大木の木陰もあり、爽やかで、穏やかな松林の公園となっています。松林を抜けると目の前には一面、海が広がり、海岸絶壁の高台から見る海岸近くの海に浮かぶ大王岩はまさに先史時代の恐竜の化石が青い海原に横たわっているかのような錯覚に陥るほどの巨大な岩です。

赤味を帯びた大王岩の色が濃紺の東海の海原の色とコントラストをなし、大変鮮明な色を放っています。
海に浮かぶ大王岩はまさに天へ昇る龍の姿を思わせる形をしています。
大王岩公園側から点々と続く磯に架けるような形で作られた鉄製の橋を渡ると、その先には大王岩があります。大王岩へ渡る橋・大王橋(テワンギョ)は1995年、近くに工場をもつ現代重工業が建設・寄贈した橋として有名です。
この大王岩は別名、大王岩・テワンアムの大王・テワンを短くして「テン」、そして岩・アムを漢字語読みではなく韓国固有の呼び名「パウィ」を繋げて「テンバウィ」とも呼ばれています。
このほか大王岩は龍が昇天し海に墜ちたということに由来し龍墜岩(ヨンチュアム)とも言われています。
また新羅時代の王・文武王(ムンムワン)の護国龍伝説に続く逸話も残っており、文武王の後を追いこの世を去った文武大王の王妃が文武大王のように東海の護国龍になりこの海を守るべくこの岩の下へ埋葬されたという言い伝えも残っています。
大王岩のほかにも、その形が災いし引き倒され壊されてしまう寸前までなったというナムグンバウィ(男根岩)、そしてタンゴンバウィ(宕巾岩)やチャサルバウィ、海岸近くに浮いているパウィソム、処女峰(チョニョボン)などがさまざまな形をした岩がたくさんあります。

珍しい岩が続く海岸の右手には故イ・ジョンサン先生が建てたという旧・方魚津(パンオジン)中学校があり、その下に500メートルほど下ったところには波に洗われ丸くなった砂利や石が詰めつくす海岸が広がり、素晴らしい景色の場所となっています。
北の方へ目を向けると現代重工業の工場群の姿がよく見えます。
(註) ※大王岩公園はもともと「蔚岐公園」と呼ばれていましたが、2004年に現在の名称に変わりました。
※蔚気灯台の漢字は2006年に「蔚岐」から「蔚気」に変更されました。

順天 楽安邑城(순천 낙안읍성)

2024-03-15

チョンラナム道スンチョン市ナガン面チュンミンギル30

三韓(サマン)時代には馬韓(マハン)の地、百済(ペクチェ)の時代には波知城(パジソン)、高麗時代には楽安郡(ナガングン)の郡衙があった場所で、朝鮮時代の城郭やその昔郡守などが公務を行った役所・東軒(トンホン)、客舎、林慶業将軍碑、市場、草葺屋根の家がいまだなお昔のまま残っていることから、城郭や村全体が韓国で初めて史跡に指定、史跡となったところがここ順天(スンチョン)楽安邑城(ナガンウプソン)です。
この場所では朝鮮時代の太祖6(1397)年、倭寇が侵入してくると地元出身の襄恵公(ヤンヘゴン)金贇吉(キム・ビンギル)将軍が義兵を率い土城を築いて攻防を繰り広げました。
そのおよそ230年後の仁祖4(1626)年、忠愍公(チュンミンゴン)林慶業(イム・ギョンオプ)将軍が楽安郡守として赴任し現在の石城を重修しています。
ほかの地域で見られる城とは異なり、広い平地に1メートルから2メートルほどの大きさの正方形の自然石を使い、高さ4メートル、幅3メートルから4メートル、城郭の総延長が1,410メートルにも及ぶ城郭を構築、東内(トンネ)、南内(ナムネ)、西内(ソネ)の3つの村を生活の根拠地として長方形でかつ強固な作りで囲むような形で築城しました。
400年近く経って今でも崩れているところはなく当時の雄壮さをそのまま残しています。現在でも多くの人々が暮らしを営む民俗固有の伝統村として、民俗学術資料としてはもちろんのこと、歴史の生きた教育の現場として、その価値を認められています。

東門をはじめ、西門、南門から城郭内に入ると、ここが時代劇の撮影場ではないかと錯覚に陥るほどです。
時代劇『龍の涙』、『太祖王建』などの撮影地である龍仁(ヨンイン)や済州(チェジュ)にある民俗村のような作り物でなく、安東河回村のような当時の権力者・両班(ヤンバン)の村でもない、一般の庶民が住んでいた昔さながらの姿が残っている場所で、古の人々の生活の匂いが染み込み親近感あふれる場所となっています。
南部地方の独特な居住様式である縁側や台所、土房、屋根、石段の上の甕などの光景が続き、また隣同士を隔てる石塀は目立たずさほど高く作られていないもので塀を伝うカボチャのつるの光景を見ると、かくれんぼして駈けずり回って遊んだ幼い頃の自らの故郷を思い出させてくれるそんな風景の場所です。

城内 135,597平方メートル
城外 87,511平方メートル
総面積 223,108平方メートル