観光 - 韓国旅行情報

百潭渓谷(백담계곡)

百潭渓谷(백담계곡)

2021-06-25

江原道 麟蹄郡 北面 百潭路150
+82-33-801-0977

江原道麟蹄郡北面に位置する百潭渓谷は百潭寺から竜岱里に続く区間を指します。約8キロメートルの区間には車道はありますが、一般車両の通行は禁止されています。
百潭渓谷は雪岳洞側よりも静かで、渓谷の美しさが見る者を魅了します。この渓谷は雪岳の全ての渓谷の母親のような存在なのであり、「百潭」という名前の通り広くて深い沼が多くあります。
雪岳山の最高峰である大青峰と馬等嶺を結ぶ稜線を中心に、西の地域は一般的に内雪岳と言われています。内雪岳は十二仙女湯渓谷、百潭、水簾洞、 伽倻洞、白雲洞などの渓谷を従えていて、その中でも百潭渓谷は小川のように幅が広く、長さも長いことが特徴です。
きれいな岩盤と澄んだ水、周囲の鬱蒼とした森と柔らかな山肌が調和して、涼しげな百潭渓谷は百箇所の潭(水が溜まった深い所)があったとしてついた名称ですが、百潭渓谷の中心部にある百潭寺は百潭寺の僧侶で詩人・独立運動家でもあった萬海・韓龍雲(1879~1944)の足跡が残る寺で、1988年全斗煥大統領が退任後長期に渡り隠遁生活を過した寺としても有名になりました。
百潭渓谷上流につながる水簾洞渓谷も内雪岳を代表する美しい渓谷として有名です。大小の滝と沼が奇岩怪石と調和し絶景を織り成して、百潭渓谷~水簾洞~馬等嶺を越えて外雪岳につながる登山道はお勧めです。明け方に出発し、雪岳洞に到着したときの馬等嶺からの恐竜稜線は圧巻です。

百潭寺(백담사)

百潭寺(백담사)

2024-02-28

カンウォン特別自治道インジェ郡プク面ペクタムロ746

百潭寺(ぺクタムサ)は、内雪岳にある代表的なお寺で、百潭渓谷の上方部に位置しており内雪岳を探訪する人々の目印にもなっています。新羅第28代真徳女王の時代に慈蔵によって建てられました。当初は寒渓寺と呼ばれていましたがその後、大青峰からお寺までの間に水たまりが100個あるということから百潭寺と名づけられました。数十回もの消失を繰り返してきましたが、1957年に再建され現在の姿に至っています。
百潭寺は詩人であり独立運動家だった萬海・韓龍雲が修行を積んだ場所としても有名です。また、全斗煥大統領夫婦はここで幽閉生活を送りながら懺悔をしたと言われています。百潭寺の前の渓谷の一角にある石の塔は、百潭寺を訪れた人々が願い事を込めて石を積んで行ったものです。

聞慶セジェ道立公園(문경새재도립공원)

聞慶セジェ道立公園(문경새재도립공원)

2024-03-20

キョンサンブク道ムンギョン市ムンギョン邑セジェロ932

「聞慶(ムンギョン)セジェ道立公園」は「鳥も飛んで越えるのが難しい」といわれる険しい山にある公園で、この一帯は1981年に道立公園に指定されています。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後に主屹関(チュフルグァン)、鳥谷関(チョゴクグァン)、鳥嶺関(チョリョングァン)の3つの関門(史跡)が設けられました。第1関門である主屹関から第3関門の鳥嶺関まで往復で4時間ほどかかり、トレッキングコースとして人気があります。聞慶セジェ道立公園にある聞慶セジェオープンセットも人気の観光スポットです。

大耶山龍湫渓谷(대야산 용추계곡)

大耶山龍湫渓谷(대야산 용추계곡)

2021-02-11

慶尚北道 聞慶市 加恩邑
+82-54-550-6414

大耶山(テヤサン)龍湫(ヨンチュ)渓谷は忠北槐山郡との境に位置し、四季を通じて水が枯れることのない渓谷です。
龍湫溪谷の中でも二段からなる龍湫瀑布は雌雄2匹の龍が天に昇る所だという伝説があります。龍湫溪谷は上龍湫と下龍湫からなっており花崗岩盤を突き抜けて流れ落ちる滝の下でハート模様をしている沼が上龍湫でその下に下龍湫が続いています。龍湫両側の大きな花崗岩の窪んだ跡は二匹の龍が 身をくねらせながら昇天する時に残した龍の鱗の跡ともいわれています。また、他の地方で日照りが続いても水が枯れることがなかったため、昔からここで祈雨祭が行われました。

ソウル貞陵(神徳王后)[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](서울 정릉(신덕왕후)[유네스코 세계문화유산])

ソウル貞陵(神徳王后)[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](서울 정릉(신덕왕후)[유네스코 세계문화유산])

2021-07-30

ソウル特別市 城北区 アリラン路19キル116

貞陵(チョンヌン)は、朝鮮を建国した太祖の第2夫人の陵。他の陵に比べ小規模で豪華でもなかったためきちんと保存もされていませんでしたが、その理由は朝鮮時代の王位争いによるものとされています。当時王には何人かの夫人がいて、後継ぎも決して少ない方ではありませんでした。王の崩御後は第1夫人の長男が継ぐのが普通ですが、王の座に就こうとその子ども達が争いを始め第2夫人が自分の息子を王位に就かせました。これに対し太宗は第2婦人に対する憎しみを燃やし、自分が王座についた後その墓を手入れできないようにしてしまったのです。全体的な作りは他の陵と同じですが、貞陵はこのような理由によって他の陵に比べ粗末なものとなっています。また他の陵と違う点として、紅門と丁字閣を結ぶ線は普通直線ですが貞陵は直角であり、これを見てもこの陵が冷遇されていたということが分かります。
しかし今では市民の散歩コースとして人気があり、多くの家族やカップルが訪れています。周囲の木々も美しく、静かな雰囲気が都会の喧騒をしばし忘れさせてくれます。また管理事務所前の左側の道に沿ってしばらく行くと樹齢300年のけやきがあり、見どころのひとつとなっています。

鳳停寺[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](봉정사[유네스코 세계문화유산])

鳳停寺[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](봉정사[유네스코 세계문화유산])

2023-05-27

キョンサンブク道アンドン市ソフ面ポンジョンサギル222
+82-54-853-4181

「鳳停寺(ポンジョンサ)」 は672年、義湘大師が創建したという説と、その弟子・能仁が創建したという説が伝わっています。
韓国戦争でほとんどの資料が消失したため創建以後の寺院の歴史は不明です。しかし、1972年に鳳停寺の極楽殿を解体・修復した際、棟上げ文から高麗時代・恭愍王12年の1363年に極楽殿を修理したという記録が発見されました。こうした事実より極楽殿が現存する韓国最古の木造建築物と認められるようになりました。

雉岳山国立公園(치악산국립공원)

2022-12-21

江原道 原州市 所草面 ムセジョム2キル 26
+82-33-740-9900

江原道(カンウォンド)の名山・五台山(オデサン)から忠清道へと続く車嶺(チャリョン)山脈に属する雉岳山(チアクサン)は、最高峰の飛蘆峰(ピロボン・標高1288メートル)を中心に、三峰(サムボン)、香爐峰(ヒャンノボン)、南台峰(ナムデボン)、天地峰(チョンジボン)など標高1000メートルを超える峰々が屏風のように南北へと続く山です。主峰の飛蘆峰から南台峰まで南北へ伸びる雉岳稜線は14キロメートルにも及び、この一帯の182.09平方キロメートルの地域は1984年、雉岳山国立公園に指定されました。
雉岳山は古より東岳名山と言われ、亀龍寺(クリョンサ)、上院寺(サンウォンサ)など悠久の新羅の歴史が宿る古刹をはじめ、ヨンウォン山城、海美山城(ヘミサンソン)など戦乱の歴史が残る由緒あるところと知られています。また、雉岳山は奇岩怪石や青々と茂る山林が絶景をなす山で、赤岳山(チョガクサン)とも呼ばれていましたが、蛇に食べられそうになったキジを助けた旅人が危うい状況にそのキジが恩返しで旅人の命を救ったという雉の恩返し伝説があることから、現在の雉岳山という名称になりました。
雉岳山国立公園内には亀龍(クリョン)渓谷、金垈(クムデ)渓谷、釜谷(プゴク)渓谷などなど特徴的な岩が織りなす美しい渓谷や、太宗台(テジョンデ)、亀龍沼(クリョンソ)、セリョム瀑布、亀龍寺、上院寺などの数多くの観光名所があちらこちらに点在しています。春夏秋冬、季節毎にその風景は変化し、春はチンダルレ(カラムラサキツツジ)やチョルチュク(クロフネツツジ)の花、夏は亀龍寺の緑豊かな森や澄んだ水、秋は紅葉、そして冬は冬景色が素晴らしく、美しい雉岳山の風景を楽しみに四季を通じて数多くの登山客が訪れます。

白雲洞渓谷(雪岳山)(백운동계곡(설악산))

2021-06-16

江原道 麟蹄郡 北面 百潭路

「百雲洞(ぺグンドン)渓谷」は徳泰山と先覚山の谷から5キロメートルにわたって流れる渓谷で、周囲にはナラ、カエデなどが密集しています。
玉女峰と7兄弟岩の間に竜潭滝がありますが、ここからクィテギチョン峰に至る谷が百雲洞渓谷です。岩盤が広く長くつながっており、ところどころに広い泉がわいています。また谷の両側に巨大な岩峰があり、強い印象を与えます。百雲洞渓谷で最も規模が大きい白雲滝は高さ30メートルに及びます。

周王山国立公園(주왕산국립공원)

2024-01-11

キョンサンブク道チョンソン郡チュワンサン面コンウォンギル169-7

周王山(チュワンサン、720.6メートル)は、数多くの岩峰や深く秀麗な渓谷が美しい景観を織り成している韓国の3大岩山のひとつです。1972年5月30日に観光地に指定されて以降、1976年3月30日には12番目の国立公園に指定されました。公園の総面積は105.582平方キロメートルで、行政区域上では慶尚北道 青松郡と盈徳郡の2つの郡および5つの面に渡っており、北には雪岳山や五台山、南には慶州、西には俗離山や徳裕山などの国立公園が広がっています。数百メートルにもなる大きな石がまるで屏風のようにそびえ立っていることから、新羅の時代には石屏山と呼ばれていましたが、統一新羅末からは周王山と呼ばれるようになりました。周王山には4つの滝の他に洞窟、大典寺およびその付属の庵が散在しており、天恵の観光資源が豊富です。

紹修書院[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](소수서원 [유네스코 세계문화유산])

2021-07-30

慶尚北道 栄州市 順興面 小白路 2740

韓半島最北端にある名山・白頭山(ペクトゥサン)から発する山脈・白頭大幹(ペクトゥデガン)へと続く小白山(ソベクサン)・霊亀峰(ヨンギィボン)の麓にある紹修書院(ソスソウォン)は、韓国で初めて王から扁額を下賜された賜額書院として有名です。
紹修書院は、朝鮮時代中期の文臣であり学者・周世鵬(チュ・セブン)が白雲洞書院(ペグンドンソウォン)を創建したのがそのはじまりです。
普段から高麗時代末の儒教の賢人・安珦(アン・ヒャン)を崇めていた周世鵬が、朝鮮時代のこの地域・豊基郡(プンギグン)のトップ・郡守(プンギグンス)の役職に赴任したのがきっかけでその翌年の1542(中宗37)年、安珦先生の故郷に祠廟を建て、ここに位牌を奉安、翌年1543年には学舎を建設し、祠廟と学び舎の機能を兼ね備えた祠院の体制を持つようになったのが白雲洞書院の始まりでした。