観光 - 韓国旅行情報

独島(독도)

独島(독도)

2023-02-17

キョンサンブク道ウルルン郡ウルルン邑 トクトイサブギル55

独島(トクト)は韓国でもっとも東にある島で、比較的大きな2つの島(東島(トンド)、西島(ソド))と小さな島々からなっています。東島は東経131度52分、北緯37度14分、西島は東経131度51分、北緯37度14分の地点に位置しています。ヒメクロウミツバメ、オオミズナギドリ、ウミネコなどの海鳥が生息しており、天然記念物に指定されています。東海のきれいな海に浮かぶ島と海鳥が美しい景観をつくりだしています。天然記念物(名称:独島天然保護区域)である独島は文化財保護法第33条により一般人の入島が規制されてきましたが、2005年3月24日に政府の方針が変わり、制限地域(東島、西島)のうち、東島だけは一般人が出入りできるようになりました。また入島許可制は申告制になり、1日の入島者数制限(1,880人/2009年6月基準)は廃止されました。東南側にある東島は標高98.6メートル、周囲2.8キロメートル、面積73,297平方メートルで、有人灯台や500トン級の船舶が接岸できる東島船着場など、ほとんどの海洋水産施設が整っています。また雨水浄化・海水淡水化施設で1日1,500リットルほどの飲用水を生産しており、厳然たる大韓民国の国民の生活の場であることを示しています。西北側にある西島は標高168.5メートル、周囲2.6キロメートル、面積88,740平方メートルで、頂上部が険しい円錐型となっています。宿泊所があり、漁民が非常時に避難所として使っています。これ以外の付属島嶼の面積は25,517平方メートルで、様々な形をした島があります。独島近海は水質がよく、寒流と暖流がぶつかって沿岸漁場や大和堆漁場が形成されており、好漁場をなしています。独島は社会学的価値はもちろん、軍事戦略的価値においても大きな意味を持っています。

五六島(釜山国家地質公園)(오륙도 (부산 국가지질공원))

五六島(釜山国家地質公園)(오륙도 (부산 국가지질공원))

2024-03-05

プサン広域市ナム区オリュクトロ137

五六島(オリュクト)は、二妓台(イギデ)公園の南端の海に聳える6つの岩島で、潮の満ち引きによって5つ、または6つに見えることから五六島と名付けられました。陸地に近い方からパンペソム、ソルソム、スリソム、ソンゴッソム、クルソム、灯台(トゥンデ)ソムと呼ばれ、灯台ソムだけが有人島です。五六島日の出公園にある五六島スカイウォークから見ると、島々をしっかり観察することができます。

松亭海水浴場(송정해수욕장)

松亭海水浴場(송정해수욕장)

2024-07-19

プサン広域市ヘウンデ区ソンジョンヘビョンロ62

釜山広域市海雲台区松亭洞にある松亭(ソンジョン)海水浴場は砂が柔らかく遠浅で波も穏やかなことから子ども連れのファミリーにお勧めの場所です。すぐ隣にある機張(キジャン)の町との境をなす松亭川は冬から春にかけてコサギが飛来する越冬地としても有名です。海岸沿いには天然物の刺身を扱う刺身屋が軒を連ね、海岸の先にあるクァンオコル(ヒラメの谷)には外食文化通りがあり、おいしい料理を味わえます。

冬柏公園(동백공원)

冬柏公園(동백공원)

2021-12-14

釜山広域市 海雲台区 佑洞

海雲台海水浴場の南端にある冬柏島(トンベクソム)の自然をそのまま公園にした場所です。冬柏島は陸地と繋がっている島で、ヤブツバキと松の木が生い茂る美しい自然景観を誇ります。島の住民と観光客の散策路として知られる冬柏島には、2005APECサミット会場であるヌリマルハウスが建てられ、連日観光客の足が絶えません。

梵魚寺(釜山)(범어사(부산))

梵魚寺(釜山)(범어사(부산))

2024-03-05

プサン広域市クムジョン区ポモサロ250

美しい形の金井山(クムジョンサン)に位置する梵魚寺(ポモサ)は、歴史的に偉大な高僧を輩出した新羅時代創建のお寺です。長い伝統と歴史を誇り、多くの文化財が保存されています。このお寺では、修行者の日常を垣間見ることができるテンプルステイが体験できます。

太宗台(釜山国家地質公園)(태종대(부산 국가지질공원))

2024-05-10

プサン広域市ヨンド区チョンマンロ24

太宗台(テジョンデ)は釜山を代表する海岸景勝地で、白亜紀末に湖に積もった堆積層が海面上昇で波によって侵食されてつくられた波食台、海食崖、海岸洞窟などがあります。円形ホルンフェルス、スランプ構造、岩脈、断層などの多様な地質記録と神秘的な天然岩壁画、砂利浜といった景観が織り成す最高の名所で、海岸植物生態コース、太宗台展望台、影島海洋文化空間へ繋がるトレイルコースが開発されています。

出典:釜山国家地質公園

広安里海水浴場(광안리해수욕장)

2024-01-09

プサン広域市スヨン区クァンアンヘビョンロ219

広安里(クァンアンリ)海水浴場は釜山広域市水営区(スヨング)広安2洞にある砂浜で、海雲台(ヘウンデ)海水浴場の西方に位置しています。 総面積は8万2000平方メートル、全長1.4キロメートル、砂浜の幅25~110メートルほどの綺麗な砂浜をなしています。常に水質浄化作業を行っていることから、近くを流れる河川・水営江(スヨンガン)にはふたたび魚たちが戻ってくるなど綺麗な水質を誇っています。
現在、広安里海水浴場は若い人たちが集まるスポットとして有名な場所に成長しました。広安里では海水浴をはじめ雰囲気のよいレストランやカフェ、釜山の中心街に引けをとらない有名ファッションブランドの店が数多く店舗を構えています。さまざまなグルメ、見どころもあり、避暑に訪れた観光客に人気を博しています。夜になると広安大橋の夜景が見ものとなります。海水浴場周辺にはロマンチックなカフェ通りや数多くの刺身屋があり、また野外ステージもあることから釜山海祭りをはじめとしたさまざまなお祭りも避暑にやってきた観光客向けに開催されています。
近くの水営江では釣りも楽しめ、また新鮮な刺身も味わうことができます。オリンピックヨット競技場もありヨットも楽しむことができます。
宿泊施設も完備しており、海辺にはホテルが数多くあるほか、リーズナブルに夏の避暑を楽しみたい場合には近くの金蓮寺(クムリョンサ)にある青少年修練院がおすすめです。ここはテントの設置も可能で、このほか宿泊棟もあり、炊事施設も完備しています。
海水浴場近くにはさまざまな文化施設があり、南川海岸のチャユパダをはじめKBS(韓国放送)、MBC(文化放送)といった放送局があります。MBC内にはシネマホール劇場もあります。夏場にはさまざまなお祭りが開催され、観光客向けの文化スペースも夏のシーズンにあわせて設けられます。

慶州普門観光団地(경주 보문관광단지)

2024-02-23

キョンサンブク道キョンジュ市シンピョン洞

都市全体が屋根のない博物館と呼ばれる新羅千年の栄華がそのまま保存されている慶州(キョンジュ)は、 ユネスコが指定した世界的な歴史都市であり、世界各地から多くの観光客がやってくる韓国屈指の観光都市です。
「慶州(キョンジュ)普門(ポムン)観光団地」は、全エリアが温泉地区および観光特区に指定されており道路・電気・通信・上下水道といった基盤施設を完備しているのに加え、 コンベンションシティとしての育成、普門観光団地と連携した甘浦観光団地の開発を推進するなど、 国際的水準の総合観光休養団地となっています。
慶州普門観光団地は計8,000,036平方メートル(242万坪)の大地に国際的規模の最高級ホテル、家族連れでの利用に最適なコンドミニアム、ゴルフ場、各種水上施設、散策路、普門湖と高さ100メートルの高射噴水など、数多くの施設を取り揃えています。
また、慶州は都市全体にサクラが多く見られることでも人気です。ある特定地域にだけ多いのではなく都市全体でサクラが見られ、開花期時には行く先々で一面に美しいサクラの風景が広がります。なかでも普門湖周囲のサクラは特に見もので、風が吹けば花びらが雪のように舞い、幻想的な景色を演出します。

金井山城(금정산성)

2024-03-05

プサン広域市クムジョン区プンムンロ78-5

金井(クムジョン)山城は、金井山の頂上から尾根、谷に沿って築かれた周囲18,845メートルの大規模な山城です。韓国の朝鮮王朝の時の1701年から1703年までの間に築かれたという記録が残っています。山城にある山城村では韓国の伝統酒であるマッコリが生産されており、各種飲食店やカフェなども多く営まれています。自然や歴史などの見どころが多く、グルメも楽しめるスポットです。

陶山書院[ユネスコ世界遺産](도산서원 [유네스코 세계유산])

2024-05-22

キョンサンブク道アンドン市トサン面トサンソウォンギル154

陶山書院(トサンソウォン)の建物群は、建築的観点から見ると、陶山書堂(トサンソダン)と陶山書院の建物に分けることができます。陶山書堂は、朝鮮時代中期の著名な儒学者・退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)先生自らこの場所に住み、弟子らに教えを施したところです。一方、陶山書院の方は李滉先生が亡くなった後建てられ、追加で建てられた祠堂や書院の建物群を指します。

陶山書堂は1561年、李滉先生がこの地に戻った後、学問の研究と後進養成のため建てられた建物です。この建物は陶山書院の中でもっとも古い建物で、李滉先生自ら設計したものといわれています。当時、儒生らの寄宿舎の役割を果たした隴雲精舍(ノンウンジョンサ)や陶山書堂を管理する人が暮らす下庫直舎(ハゴジクサ)も同時に建てられました。

これに対して陶山書院は李滉先生が亡くなった6年後の1576年に完工しました。1570年に李滉先生がこの世を去ると、1572年、李滉先生の位牌を尚徳祠(サンドクサ・宝物)に祀ることにしました。その2年後、地元の儒林(儒学者)の公議により祠堂を建て位牌を奉安、典教堂(チョンギョダン・宝物)や東斎(トンジェ)・西斎(ソジェ)の建物を造り、書院としての形ができました。

1575年には朝鮮時代の書家・韓石峰(ハン・ソッポン)が書した「陶山書院」の扁額を王より賜り、賜額書院として現在の慶尚道・嶺南(ヨンナム)地域の儒学の総本山となりました。1615年、士林(儒学者)らが朝鮮時代中期の文臣・趙穆(チョ・モク)を新たに祀りました。1792年、朝鮮王朝第22代の王・正祖(チョンジョ)が致祭(チジェ=王が祭物や祭文を贈り祭祀を行うこと)を行うこととし、陶山別科を新設しました。続いて1796年には試士壇(シサダン)を、1819年には蔵書庫・東光明室(トングァンミョンシル)を建立しました。

1870年に行われた興宣大院君(フンソンデウォングン)による書院撤廃令では、陶山書院は撤廃令の対象外となり廃止を免れました。1930年には西光明室(ソグァンミョンシル)を増築し、1932年には下庫直舎を移築しました。1969年には陶山書院を中心に林野及び田畑19筆324,945平方メートルを含む地域が史跡に指定されました。1970年からは大統領令により補修・増築事業を進め、韓国の儒学思想の精神的な故郷として聖域化されるに至りました。1977年には陶山書院管理事務所が設置され、管理運営条例を制定・公布、今日に至っています。