観光 - 韓国旅行情報

洛山寺 義湘台(낙산사 의상대)

洛山寺 義湘台(낙산사 의상대)

2021-04-12

江原道 襄陽郡 降峴面 洛山寺路100
+82-33-672-2447

江原道襄陽洛山寺(ナクサンサ)から紅蓮庵の観音窟へ向かう途中の海辺の絶壁の上にある東屋。義湘台(ウィサンデ)の「台」は、周辺の景色を観賞するために建てられた家を意味します。義湘台から眺める東海と海岸の絶景が美しく、襄陽八景に名を連ねており、洛山寺で必ず立ち寄るべきスポットとされています。松江・鄭澈(チョン・チョル)の『関東別曲』で紹介された関東八景(江原道嶺東の8つの景勝地)の一つで、東海岸の日の出が有名な場所でもあります。「襄陽洛山寺義湘台と紅蓮庵」の名で名勝第27号に指定されています。洛山寺義湘台は、義湘大師の業績をたたえるために1925年に建てられた東屋です。義湘大師は新羅文武王11年(671年)に洛山寺を創建した高僧で、お寺のあちこちに彼に関する伝説が伝わっています。中国・唐から戻ってきた義湘大師が洛山寺を建てた際、現在義湘台がある場所で山の調査をし、座禅修行を行ったとされています。現在の義湘台は、1995年に六角亭として復元されたものです。

月出山国立公園(월출산국립공원)

月出山国立公園(월출산국립공원)

2024-01-23

チョンラナム道ヨンアム郡ヨンアム邑チョンファンサロ280-43

「月が出る山」という意味の月出山(ウォルチュルサン)は、自然景観が美しく、国立公園としては韓国の最南端に位置しています。周辺が平野なので、標高810.7メートルの天皇峰を中心とする山並みがさらに際立っています。見る角度によって人の顔や動物など違った形に見える独特の奇岩怪石は、圧倒されるような威厳があります。700種以上の植物と800種以上の動物が生息し、暖帯林と温帯林が共存しており、保全価値が非常に高いとされています。天皇寺跡またはパラム渓谷から天皇峰、九井峰、道岬寺まで続く尾根が主な探訪路で、所要時間は約6時間。コースの中で一番面白いのは高さ120メートル、長さ54メートルの赤い吊橋の区間です。吊橋の上からは月出山とその下に広がる田園風景という絵のように美しい風景を見ることができます。

珍島神秘の海割れ(진도 신비의 바닷길)

珍島神秘の海割れ(진도 신비의 바닷길)

2023-01-17

チョンラナム道チンド郡コグン面シンビエバダッギル148

毎年、陰暦2月の終わりごろの珍島(チンド)地方の大潮・霊登(ヨンドゥン)サリや6月中旬ごろの時期、全羅南道(チョルラナムド)珍島郡(チンドグン)古郡面(コグンミョン)回洞村(フェドンマウル)とその沖合にある義新面(ウィシンミョン)茅島(モド)の間の海が割れる、別名「韓国版モーゼの奇跡」という海割れ現象が起こります。潮が引くと、幅30メートルから40メートル、全長およそ2.8キロメートルに及ぶ海割れの道ができます。この期間、回洞里一帯では神秘の海割れ祭りが開催されます。海割れの道はおよそ1時間ほど完全に干上がった状態となり、再び潮が満ちてきて海の中へ消えていきます。

珍島には回洞里のポンおばあさんの話が言い伝えられています。その昔、珍島には虎が多かったといいます。現在の回洞村は 珍島にある山・尖察山(チョムチャルサン)の端にあったため虎がよく現れ、村の名前も韓国語で虎を意味する「ホランイ」、「虎洞(ホドン)」と呼ばれていました。
ある日、虎が現れ被害を被ると、村人はみな沖にある茅島に逃げてしまいました。村人は慌てふためいて逃げてしまったため、「ポンおばあさん」は置き去りにされてしまいました。ひとり取り残されたポンおばあさんは、海の神様・龍王さまに再び家族に合わせてほしいと毎日お祈りをしました。するとその年の2月の終わりごろ、龍王がポンおばあさんの夢枕に現れ「明日、海に虹をかけてやるから、その道で茅島に渡りなさい」と言いました。
次の日、ポンおばあさんが近くの海に赴き、祈りをささげていると、本当に潮が引き、虹のように丸く曲がった道ができました。茅島でおばあさんを心配していた家族や村人たちは、農楽で使うチンやケングァリといった打楽器を鳴らしながら、この海の道を渡ってきました。
再び家族と出会うことができたおばあさんは「祈りが通じて海の道が開け、お前たちに会えたから、もう望みはない」と言葉を残し、力尽き果て息を引き取ってしまいます。
それ以来、村人たちは毎年、ここに祭壇を設け、おばあさんの祭祀を執り行い、この日をポンおばあさんの霊が天に登った日ということで、霊登サリと言うようになりました。この当時、村の名称も虎洞に人々が戻ってきたということで、回洞となったそうです。

珍島神秘の海割れは1975年、在韓フランス大使が珍島に観光で訪れた際、この現象を目撃し、フランスの新聞「モーゼの奇跡」と紹介し、世界的に知られるようになりました。
1970年代後半からは旧暦2月の霊登サリの時期に合わせて珍島郡で霊登祭りを開催しています。海岸のポンおばあさんの祠堂で祭祀を執り行い、龍王祭を行い、死者を清め極楽へと送る全羅南道地方特有の儀式・シッキムグッ、出棺前日喪主や遺族を慰めるため行われる珍島独独特の儀式・タシレギ、カンガンスルレ、全羅南道の農謡・南道トゥルノレ、珍島挽歌、太鼓を打ちながら踊る農楽・プクノリなど珍島固有の民俗公演をはじめ、様々なイベントが開催され、見どころも多く、各地から多くの観光客が訪れます。
海辺の祠堂に祀られているポンおばあさんの肖像画は珍島出身の東洋画の画家・沃田(オクチョン)姜智周(カン・ジジュ)画伯が描いたもので、肖像画が収められている祠堂の扉を開ければ奇跡の現象を眺められるようになっています。

黒山島(흑산도)

黒山島(흑산도)

2024-09-12

全羅南道 新安郡 黒山面 チンマウルキル11
+82-61-275-9300

黒山島(フクサンド)は韓国の行政区域上、最も西南端の海域に位置する島で木浦から海上を西南方向に92.7キロメートル(北緯34度41分、東経125度26分)離れたところにあります。海水の色が青よりさらに濃い黒く見えることから黒山島と呼ばるようになりました。島の面積は19.7平方キロメートルで海岸線の総延長は41.8キロメートルに達する比較的大きな島です。

山が大部分を占める島のため稲作はほとんどできず、島の経済は水産業と観光業に大きく依存しています。黒山島の曳里(イェリ)港は東シナ海の西南端漁場の前線基地で、中国漁船が数多く出入り、し大規模な観光開発がさかんに行われており、最西南端の小黒山島(可居島)は漁業の前線基地として重要な役割を果たしています。 大黒山島の周囲にある永山島、多物島、大屯島、紅島などは自然の宝庫で、島特有の文化遺跡が多く、またこの辺りは多島海海上国立公園の一部となっています。

海岸に沿って総延長24キロメートルの一周道路があり、島全域を一周すれば黒山島の美しい自然と文化遺跡をほとんど見ることができます。島の観光のハイライトである遊覧船による海上観光は曳里港を出港しヨルモク洞窟~ホンオマウル~ポムマウル~七星洞窟~トルコレパウィ(イルカ岩)~スニムパウィ(僧岩)~ソッテパウィ~男根石~コブギパウィ(亀岩)などを周遊、2時間半ほどで周ることができます。

黒山島は陸地と遠く離れており、古の時代には数多くの人々が流刑生活を余儀なくされた島でした。朝鮮時代後期の実学者である茶山・丁若鏞(チョン・ヤギョン)の2番目の兄で朝鮮時代後期の文臣であった丁若銓(チョン・ヤクチョン)先生は流刑生活の15年間で島の近海に生息する魚類や海産物など155種を採取し名称・形態・分布・実態などを記録、「玆山魚譜(チャサンオボ)」を後世に残しました。

また学者であり義兵長でもあった勉菴・崔益鉉(チェ・イッキョン)先生の「基封江山 洪武日月」という親筆は黒山面村里にあるソンパダクパウィ(掌岩)にきざまれています。地蔵庵の前には後日、その門下生らが勉菴崔益鉉遺墟碑を建て先生の高邁な愛国精神と後学養成の意思を子孫に伝えています。

そして一時天然記念物に指定される直前まで行った招霊木は枝を折り仏前に供えれば霊を呼ぶという木ですが、周囲には常緑樹林や村の入口の大きな老樹に宿る神を祀る城隍堂があり、文化財資料として指定された鎮里支石墓群落地、三重石塔及び石灯、沙邨書堂(サチョンソダン)のような数多くの文化遺跡があります。

黒山島近隣の島嶼としては島全体が天然記念物に指定されている紅島(ホンド)、永山八景と石柱大門パウィの絶景をいただく永山島(ヨンサンド)、ソッテパウィがある現代化示範漁村である多物島(タムルド)、年間を通じて海釣りのメッカとして有名な3つの島上苔島(サンテド)・中苔島(チュンハテド)・下苔島(ハテド)、そして海釣り客が多く、中国の地の鶏の鳴き声が聞こえるほど西南の果てにあるという西海の最西南端の島・可居島(カゴド)があります。

雲住寺(운주사)

雲住寺(운주사)

2022-07-05

チョンラナム道ファスン郡トアム面チョンテロ91-44

雲住寺(ウンジュサ)は大韓仏教曹渓宗第21教区・松広寺(ソングァンサ)の末寺です。
新羅時代末期、道詵国師(トソングクサ)が風水地理に基づき、裨補寺刹(ピボサチャル)として建立されたと伝えられています。
裨補寺刹の裨補(ピボ=ひほ)とは「助け補う」という意味で、強い部分は柔軟にし弱い部分は補強することにより自然の流れに逆らうことなく護国と衆生の利益を求めた高僧・道詵の智慧がここ雲住寺に宿っています。

1984年から89年にかけて行われた発掘調査で、金銅仏立像をはじめ、純青磁、象嵌青磁、粉青沙器の破片、瓦などが出土し、これら遺物から判断すると、雲住寺は遅くとも11世紀初頭の高麗時代初期には建立されていたと推定されます。
韓国の著名な地理誌「東国與地誌」に高麗時代の僧侶・恵明(ヘミョン)がおよそ1,000人を動員し千仏千塔(チョンブルチョンタプ)を作り上げたと記録されています。この恵明という僧は970(光宗21)年に灌燭寺(クァンチョクサ)大仏を建立した僧・慧明(ヘミョン)と同一人物とみられ、このことから雲住寺が高麗時代初めに建立されたと見られています。

1984年に「弘治八年」(弘治は明の元号・西暦では1495年)と刻まれた瓦が発見され、朝鮮の元号で燕山君(ヨンサングン)元(1495)年に4回目の重修が行われたと記録があり、雲住寺は朝鮮時代初めまでは実在していたことが分かります。
その後、丁酉再乱(日本でいう「慶長の役」)の際に、倭敵により廃寺となってしまいました。
1800年ごろ朝鮮時代後期の僧である雪潭(ソルダム=自優の号)・自優(チャウ)の手により、倒れた仏像や仏塔を修復、薬師殿などを重建し、現在に至っています。
寺の周辺には91体の石仏(完全な形を維持している石仏50体) や21基の石塔があります。
雲住寺を代表する遺物としては石造仏龕 (宝物)・九層石塔(宝物)・円形多層石塔(宝物)・臥仏などがあります。

紅島(홍도)

紅島(홍도)

2024-03-15

チョンラナム道シンアン郡フクサン面ホンド里

紅島(ホンド)は、木浦(モクポ)港から旅客船で2時間30分かかる島です。日没の頃になると島が赤く見えるので紅島と呼ばれます。伝説がまつわる岩石と海岸絶壁、清らかで青い海が美しい島です。希少植物と動物が生息しているので天然記念物として保護される地域でもあります。紅島最高の観光は遊覧船に乗って周辺に浮かぶ33の岩島と絶壁を観賞することです。

仙岩渓谷(下仙岩)(선암계곡(하선암))

仙岩渓谷(下仙岩)(선암계곡(하선암))

2021-05-29

忠清北道 丹陽郡 丹城面 仙岩渓谷路 1337

仙岩(ソナム)渓谷は、忠清北道(チュンチョンプクド)丹陽郡(タニャングン)丹城面(タンソンミョン)佳山里(カサルリ)から大岑里(テジャムニ)に至るおよそ10kmの美しい渓谷として有名で、丹陽八景のうちの三景(上・中・下仙岩)、特仙岩(トゥクソナム)、小仙岩(ソソナム)がある渓谷です。仙岩渓谷は、鬱蒼と生い茂る森や奇岩奇石、澄んできれいな渓流が流れる美しい渓谷として知られており、渓谷のどこでもキャンプや水遊びができる夏の避暑地として指折りの場所です。渓谷のそばには小仙岩自然休養林、小仙岩オートキャンプ場、 小仙岩遊園地、特仙岩キャンプ場などがあります。

三仙九曲をなす深山幽谷の最初の景勝地で、三段の平岩となってるヒンパウィ(白い岩の意)は、広さがおよそ100尺ほどある平らな広場のような場所になっています。その上には丸く大きな岩があり、その形が弥勒のようであることから「仏岩(プラム)」とも呼ばれれています。
また、その岩は朝鮮時代の第9代の王・成宗(ソンジョン=在位・1469~1494年)の治世の時代、潭陽郡守であったイム・ジェグァン先生が神仙の戯れた岩という意味を込めて「仙岩」とも呼ばれ、また明鏡止水を思わせる鏡のように澄んだ渓流が昼夜ともなく流れ、水の中に映る岩がまるで虹のように玲瓏としていたことから「虹岩(ホンアム)」とも呼ばれています。
初夏にはチンダルレ(カラムラサキツツジ)やチョルチュク(クロフネツツジ)の花が、秋には紅葉が織りなす風景は別天地を思わせる素晴らしい風景となります。特に夏は避暑地として一躍脚光を浴びる観光スポットとなります。

公州武寧王陵と王陵園[ユネスコ世界遺産](공주 무령왕릉과 왕릉원[유네스코 세계유산])

公州武寧王陵と王陵園[ユネスコ世界遺産](공주 무령왕릉과 왕릉원[유네스코 세계유산])

2024-08-19

チュンチョンナム道コンジュ市ワンヌンロ37-2

公州(コンジュ)市錦城洞にある熊津百済時代の王の墓が集まっている場所で、武寧王陵(ムリョンワンヌン)をはじめ、7基の墓があります。宋山(ソンサン)の渓谷を挟んで西側に武寧王陵と5・6号墳があり、東北側に1~4号墳があります。1~6号墳は日帝強占期に調査された際に古墳の構造や形式が明らかにされており、武寧王陵は1971年に5・6号墳の補修工事の際に発見されました。

1~5号墳はすべて横穴式石室墳で、墓の入口から遺体が安置されている玄室にいたる通路が玄室の東の壁側にあるのが特徴です。1~4号墳は床に小石を敷いて棺台が作られており、5号墳はレンガ造りとなっています。このように同じ様式の墓でありながらも構造や規模において多少の差があるのは、次期が違っていることが影響しているものとみられています。5号墳は手つかずの状態で残されていましたが、1~4号墳は調査前にすでに盗掘されていました。これ以外に塼築墳で宋山里壁画古墳とも呼ばれる6号墳と武寧王陵があります。

6号墳は天井がドーム型で、二重の羨道と長方形の玄室が特徴です。五銖銭が刻まれたレンガが積まれており、玄室の壁には7つの油皿置き場があり、四神図、日月図などの壁画が描かれています。武寧王陵も蓮の花の模様のレンガ造りとなっており、壁には5つの油皿置き場がある他、墓誌などの多くの遺物が出土しました。

6号墳と武寧王陵は現存する百済のレンガ造りの墓で、いずれもトンネル状の玄室の前方に短いトンネル状の羨道があり、長い排水路が作られています。このような形式のレンガ造りの墓は中国の影響を受けたもので、壁画は高句麗の影響を受けているものとみられています。武寧王陵は確実な年代を知ることができるため、百済社会の社会像・文化像を研究するのにきわめて重要な資料であるといえます。

<出典:国家遺産庁>

江陵 鏡浦海水浴場(강릉 경포해수욕장)

2024-05-14

カンウォン特別自治道カンヌン市チャンヘロ514

江陵市内から北に6キロメートル、鏡浦台から1キロメートルのところにある鏡浦(キョンポ)海水浴場は、東海沿岸最大の浜辺として有名です。全長1.8キロメートル、面積1.44平方キロメートルの白い砂浜と、鬱蒼とした松林の調和が美しい海岸です。平均水深1~2メートルほどの遠浅の海水浴場で、毎年多くの人々がやって来ます。周辺には松林が茂り、海水浴と森林浴を同時に楽しむことができるため、夏の避暑地として人気があります。毎年夏になると夜に芸術祭が開催され、文化プログラムも多数行われます。鏡浦湖の周りで自転車をレンタルして楽しむサイクリングも人気があります。また、周辺には雪岳山、五台山国立公園があり、海・山・渓谷なども楽しめます。

飛龍滝(비룡폭포)

2023-03-09

カンウォン道ソクチョ市ソラクサンロ

飛龍滝(ピリョンポクポ)は、雪岳山小公園チケット売り場から南方2.4キロメートルのところにあります。上流には土王城滝、下流には六潭滝があり、その中ほどに飛龍滝があります。飛龍滝は、流れ落ちる滝に沿って龍が天に昇るように見えることから付けられた名前です。狭くて険しい渓谷の間を力強く流れ落ちる滝が伝説の龍のようです。飛龍滝にまつわる逸話がもう一つあり、昔ここに棲んでいた龍に、干ばつに苦しんでいた村の人々が乙女を捧げたところ、龍は天に昇り、村にはそれから干ばつの被害がなくなったと伝えられています。16メートルの高さを流れ落ちる滝の音が谷中に響き渡っています。冬には滝がすっかり凍り付き、また別の壮観をなします。滝の下には澄んだ淵が形成されていて、木でできた観覧台が建てられています。飛龍滝とその一帯は国家指定文化財名勝に指定されています。小公園から飛龍滝までは約1時間ほどかかります。六潭滝と土王城滝を見るには、往復3時間ほど必要です。探訪コースの難易度は中程度です。