観光 - 韓国旅行情報

明洞(명동)

明洞(명동)

2024-05-17

ソウル特別市チュン区ウルチロ66

明洞(ミョンドン)は巨大ショッピング都市を思わせる空間です。
一般的に明洞通りはソウル地下鉄4号線明洞駅から乙支路(ウルチロ)、ロッテ百貨店本店へと続くおよそ1キロメートルほどの通りを指します。ここにはさまざまなブランドの店舗、デパート、アウトレット店などが軒を連ねています。トレンドのメッカという表現がぴったりと合う明洞では、衣類、靴、アクセサリーなどさまざまな商品を購入できる一大ショッピング街です。
南大門や東大門市場と比べると比較的質のよいブランドが多く集まっているのが特徴ともいえます。明洞からはデパートが近く、ロッテ百貨店、新世界(シンセゲ)百貨店などが歩いてすぐのところにあります。
明洞にはショッピングのほか、グルメや見どころも沢山あります。グルメではファミリーレストラン、ファストフード店をはじめ韓食、洋食、日本食など数多くのレストランがあります。中でも老舗の明洞トンカツや明洞カルククス(明洞餃子)は有名で、一度味わってみることをおすすめします。この他、明洞にはヘアショップ、銀行、劇場などさまざまな施設もあります。


明洞の主な観光スポット

・明洞聖堂:韓国天主教(カトリック)ソウル大教区本堂の建物である明洞聖堂(ミョンドンソンダン)は韓国初の聖堂で韓国カトリック教会のシンボル的存在の建物です。明洞聖堂は高宗29(1892)年に着工し、6年後の光武2(1898)年に竣工した純ゴシック様式の建物です。明洞聖堂は韓国のキリスト教の歴史のみならず政治、社会、文化全般にわたり大きな影響を与えた場所でもあります。

・明洞芸術劇場:明洞芸術劇場は明洞旧国立劇場を復元し、2009年6月開館した明洞芸術劇場は完成度が高い演劇作品に出会える演劇芸術専門公演場です。1924年バロック様式で建築されたこの劇場は、その外観と最新鋭の公演施設が調和した劇場として知られています。

・明洞楽しい路:明洞と南山(ナムサン)をつなぐ路で、明洞の華麗さに比べ特徴もなくなにか物足りない急な上り坂だったこの道。ここを2013年12月、漫画の通り「楽しい路(チェミロ)」と名付け活気ある新たな路に生まれ変わらせました。この通りでは大御所から新人までおよそ70人の大韓民国を代表する漫画家のさまざまなアニメキャラクターやコンテンツに出会うことができます。

徳寿宮(덕수궁)

徳寿宮(덕수궁)

2024-06-19

ソウル特別市チュン区セジョンデロ99

史跡・徳寿宮(トクスグン)は、元々王宮ではなく、成宗(ソンジョン=1457~1494年・在位:1469~1494年)の兄にあたる月山大君(ウォルサンデグン=1454~1488年)の住居として使われていました。
1592年壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により王宮が全焼し、翌1593年、仮の王宮・行宮(ヘングン=離宮)として使われるようになりました。 壬辰倭乱により朝鮮時代第14代の王・宣祖(ソンジョ=1552~1608年・在位:1567~1608年)が都を離れ義州(ウィジュ)に避難、その後、漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ戻ってくると、居をここ徳寿宮に構えました。 宣祖の後を継ぐ第15代の王・光海君(クァンヘグン=1575~1641年・在位:1608~1623年)は、1608年行宮となっていたこの場所で即位、1611年この行宮を慶運宮(キョンウングン)と改称し、以降7年間にわたり王宮として使っていました。しかし1615年になると、昌徳宮(チャンドックン)に居を移し、それ以降は270年に渡り、離宮として使われることになります。

朝鮮王朝第26代の王で大韓帝国時代には皇帝でもあった高宗(コジョン)(1852~1919年・在位:1863~1907年)が1896年2月からおよそ1年間、ロシア公館に一時身を寄せ、翌年、王宮に戻ってきましたが、その王宮がこの場所で、以降この場所が再び王宮として利用されることになりました。
高宗が再び王宮として使うようになり王宮の名称も再び慶運宮と呼ばれるようになり、その規模も拡大しました。そして、高宗皇帝は1907年、朝鮮王朝第27代の王・純宗(スンジョン=1874~1926年・在位:1907~1910年)に譲位した後も引き続きここに住み続け、王宮の機能は昌徳宮へと移りました。
引き続き、慶運宮に住むこととなった高宗ですが、高宗の長寿を願って、名称を徳寿宮と改称しました。

このような経緯があったことから現在、元々の慶運宮という名称を使うべきであるという声も上がっています。徳寿宮には過去、数多くの建物が存在していましたが、18,635坪(約6.2ヘクタール)の敷地に残っているのは、大漢門(テハンムン)、中和殿(チュンファジョン)、光明門(クァンミョンムン)、昔御堂(ソゴダン)、浚明堂(チュンミョンダン)、即阼堂(チュクチョダン)、咸寧殿(ムニョンジョン)、徳弘殿(トコンジョン)、そして石造殿など一部にすぎません。

徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。



* 大漢門 -大漢門は現在では徳寿宮の正門となっています。元々の名称は大安門(テアンムン)で、王宮の東門として使われていました。この大安門は1906年に再建され「大漢門」という名称がつけられました。扁額の文字は当時、漢城府(ハンソンブ=現在のソウル)判尹(パニュン=漢城府の長)を務めた南廷哲(ナム・ジョンチョル)によるものです。

* 光明門 -光明門は王の寝殿・咸寧殿の正門で、光武(クァンム)8(1904)年の大火により焼失したものを、同年再建したものです。1938年、石造殿を美術館として使い始め、貞洞(チョンドン)にあった興天寺(フンチョンサ)の梵鐘や昌徳宮の報漏閣(ポルガク)にあった自撃漏(チャギョンヌ)を現在の場所へ移した際に光明門も同時に移築して現在のところに建て直しました。

* 石造殿 -大韓帝国時代、外国の使節と接見した場所です。光武4(1900)年着工、隆熙(ユンヒ)3(1909)年完成した石造の建物で、朝鮮王朝で最後に建てられた大規模建造物です。建物の外観は十九世紀初めの欧州で流行していた新古典主義様式に倣ったもので、正面にある柱の上部にはイオニア様式で施しており、室内はロココ調の装飾がなされています。建物は3階建てで、1階には接見場所が、半地下階には侍従らの控室の場所として使われ、2階には皇帝のスペースとなっていました。植民地支配が終わりを告げた1945年の光復(クァンボク)以降は米ソ共同委員会会議場、国立博物館、国立現代美術館、宮中遺物展示館などとして利用されました。

* 咸寧殿 - 宝物に指定されている咸寧殿は1897年に建てられ、高宗皇帝が居を構えた建物として知られています。1904年の火災により焼失しましたが、同年建て直し現在に至っています。高宗皇帝は1919年1月21日この咸寧殿で薨去しました。その後使われなくなった咸寧殿に当時使われていた家具、書画、什器などを配置し、およそ100年前の王宮での暮らしぶりを改めて再現しました。

* 中和殿 - 大韓帝国の正殿として使われ、朝鮮王朝第26代の王・高宗の近代国家建設に懸ける自信が垣間見れる建物です。特に正殿内には御座の真上の天蓋を見ると、龍が二匹描かれているのが確認できますが、これは正殿の天井の龍のような模様となっており、徳寿宮が大韓帝国皇帝の皇宮であったことを感じされます。 現在残っている中和殿は1902年に重層の建物として建てられましたが、1904年の火災で焼失、その後1906年に平屋造りの建物で重建されました。

* 重明殿 - 重明殿(チュンミョンジョン)はロシアの建築家サバティ(Seredin Sabatin)の設計により1897年から1901年にかけて建築された皇室図書館です。地下1階を含む二階建ての西洋式の建物で、当初は漱玉軒(スオゴン)と呼ばれていました。2009年12月に復元され、2010年8月からは展示館「大韓帝国の運命をかけた場所、徳寿宮重明殿」として一般に公開されました。

* この他、昔御堂、浚明堂、即阼堂、静観軒(チョングァノン)、徳弘殿、報漏閣自撃漏などがあります。

国会議事堂(국회의사당)

国会議事堂(국회의사당)

2024-03-05

ソウル特別市ヨンドゥンポ区ヨイド洞ウィサダンデロ1

国会議事堂(ククェウィサダン)は、大韓民国の民主主義を象徴する建物です。主要施設としては本館、国会図書館、憲政記念館などがあり、本会議場の見学や子供博物館の観覧などのプログラムを運営しています。韓国の歴史と政治について学べる場所で、人気の高い観光スポットです。事前予約が必要で、ホームページから予約できます。

ソウル永徽園(純献皇貴妃)・崇仁園(李晋)(서울 영휘원(순헌황귀비)과 숭인원(이진))

ソウル永徽園(純献皇貴妃)・崇仁園(李晋)(서울 영휘원(순헌황귀비)과 숭인원(이진))

2021-04-09

ソウル特別市 東大門区 洪陵路90

永徽園(ヨンヒウォン)の中には朝鮮王朝第26代目の高宗の後宮であり英親王の生みの母である純献貴妃厳氏のお墓「永徽園」と、英親王の長男のお墓「崇仁園(スンインウォン)」があります。 純献貴妃厳氏の位牌は現在鐘路区宮井洞にある七宮に奉安されています。永徽園があるこの地域は元々、高宗皇帝の妃である明聖王后閔氏の洪陵でしたが、1919年高宗のお葬式のときに一緒に埋葬するため京畿道南楊州市金谷洞の洪裕陵に移されました。

ソウル 泰陵(文定王后)と康陵(仁順王后)[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](서울 태릉(문정왕후)과 강릉(인순왕후)[유네스코 세계문화유산])

ソウル 泰陵(文定王后)と康陵(仁順王后)[ユネスコ世界遺産(文化遺産)](서울 태릉(문정왕후)과 강릉(인순왕후)[유네스코 세계문화유산])

2022-09-19

ソウル特別市ノウォン区ファランロ681

史跡「泰陵・康陵(テルン・カンヌン)」には朝鮮王朝第11代の中宗の継妃である文定王后尹氏の陵「泰陵」と、13代明宗と王妃・仁順王后沈氏の「康陵」があります。明宗は、兄である仁宗の遺言に従って12歳で景福宮の勤政殿で即位し(1545年)、その母である文定王后は明宗が成人になるまでの8年もの間、明宗の代理として政権を握りました。春や秋の散歩コースとして常に人気の高いところです。

・公開制限エリア観覧案内(泰陵の陵墓)
観覧時期:3~6月、9~11月/土曜日・日曜日10:00、14:00
観覧条件:解説士および観覧委員が同行

阿且山城(아차산성)

阿且山城(아차산성)

2023-04-05

ソウル特別市 広津区 広壮洞
+82-2-450-7593

阿且山城(アチャサンソン)は六角形で全周1キロほどで渓谷を抱きかかえたような形になっています。海抜200メートルの山の頂上から漢江に向かって東南に築城されており、漢江と周辺の景色を一望できるスポットととして人気です。城の名称は、朝鮮太祖が阿旦(アダン)を阿且(アチャ)に直し、阿且城と呼ぶようになったという経緯があり、長漢城、広壮城とも呼ばれています。
この城は三国時代の戦略要衝地として、高句麗・百済・新羅が熾烈な領土争いを通して奪い奪われる激戦を繰り広げた所です。このような戦闘の中で百済・蓋鹵王は、高句麗・長壽王が送った大軍によって陥落した後ここで弑逆され、また高句麗・温達将軍は590年、新羅軍と戦う中戦死した所として歴史的な意義が大きいとされています。
今では自然公園として造成され、登山道(1,500メートル)、バドミントン場、相撲場、洋弓場、アドベンチャー遊び施設、ベンチ、八角亭などが整備され、市民たちの憩いの場となっています。

普信閣(보신각 터)

2024-03-05

ソウル特別市チョンノ区チョンロ54

普信閣(ポシンガク)は鐘閣(チョンガク)とも呼ばれています。朝鮮(1392~1897)時代に時間を知らせる鐘があった場所です。韓国戦争(1950~1953)中に燃えてしまい、1979年に再建されました。もともとあった鐘は景福宮(キョンボックン)に移され、1985年に新しい鐘が作られました。毎年1月1日0時に新年の鐘つきが行われ、多くの人が集まって新年の願い事を祈ります。

ソウル雲峴宮(서울 운현궁)

2024-03-05

ソウル特別市チョンノ区サミルデロ464

景福宮(キョンボックン)の近くにある雲峴宮(ウンヒョングン)は、朝鮮の王族が住んでいたところです。朝鮮(1392~1897)の王で後に大韓帝国(1897~1910)の初代皇帝となった高宗(コジョン)の生家で、その父である興宣大院君(フンソンテウォングン)の邸宅でした。建物としては老安堂(ノアンダン)、老楽堂(ノラクタン)、二老堂(イロダン)などがあり、伝統婚礼を挙げたり伝統文化を体験したりできます。展示館では朝鮮時代の遺物を見ることができます。 

南山公園(ソウル)(남산공원(서울))

2024-03-25

ソウル特別市チュン区フェヒョン洞1ガ100-266

南山公園(ナムサンゴンウォン)が位置している南山は、ソウルの中心部にそびえ立つ標高265メートルの山で、朝鮮時代から神聖視され、多くの遺跡が残っています。20世紀初めにかなり棄損されてしまいましたが、1968年に公園を整備して一部復元されました。南山タワー、愛の南京錠などの名所があります。ケーブルカー、循環バスでも頂上に上ることができます。

龍山家族公園(용산가족공원)

2023-07-11

ソウル特別市ヨンサン区ソビンゴロ185

「龍山(ヨンサン)家族公園」は、広い芝生や中央にある池、きれいに整備された散策路などがあり、テーブルやベンチでピクニックを楽しむ家族も見られるなど市民の憩いの場となっています。
この公園はアメリカ軍基地のゴルフ場約9万坪の土地を家族公園として市民に開放し、その後1997年11月15日の国立博物館の建設に伴い、公園の規模が現在の約27,000坪に縮小されました。ゴルフ場にあった芝生や森、池などはそのまま残し、約2㎞の散策路、自然学習場、太極旗公園、芝生広場が造成され、公園内には鳩やホロホロ鳥、キジなどが生息しています。