観光 - 韓国旅行情報

長林浦(장림포구)

長林浦(장림포구)

2024-03-13

プサン広域市サハ区チャンニムロ93ボンギル72

長林浦(チャンニムポグ)は、SNSを通じて近年人気急上昇中の釜山(プサン)のホットプレイス。長林の入り江に沿って立ち並ぶカラフルな建物や水辺に停泊している船がベネチアのムラーノ島の風景に似ていることから釜山のベネチア「プネチア」という愛称で呼ばれています。夕陽が美しく、多大浦(タデポ)海水浴場へ向かう途中にあるため、近くの峨嵋山(アミサン)展望台、多大浦夢の夕日噴水などと一緒に観光でき、釜山の新たな避暑地として急浮上している観光スポットです。

原城 城南里 城隍林(원성 성남리 성황림)

原城 城南里 城隍林(원성 성남리 성황림)

2023-06-22

カンウォン道ウォンジュ市シンリム面ソンナム里

江原道(カンウォンド)原州市(ウォンジュシ)神林面(シルリムミョン)城南里(ソンナムニ)にある城隍林(ソンファンニム)は1962年に天然記念物に指定された温帯広葉樹林です。
文化体育観光部の2020年生態テーマ観光事業にも選ばれた場所で、城隍林の生態探訪や森のガイド・瞑想・体験プログラムを実施しています。

およそ31.2ヘクタールの城南里城隍林には、約90種の木本植物があります。地元・城南里の人々は雉岳山(チアクサン)の城隍神(土地の守り神)を村の守護神と崇め、毎年陰暦4月8日と9月9日の午前0時に城隍神が降臨する城隍堂のそばに立っている大きなモミの木(高さ29m・直径1.3m・樹齢300年)の前で祭祀を行ったといいます。

神林という地名は文字通り「神が宿る林」という意味で、朝鮮時代に作られた朝鮮全図・大東輿地図(テドンヨジド)にもすでに「神林」という文字が書かれています。
大きな木が取り囲む先には祠が見え、その祠の横には、一目ですぐに神木と分かる、紙垂(しで)のついた細い注連縄が巻かれた大樹がすっと立っています。
城隍林は小川を境に樹種が変わります。 小川の右手の祠のそばにはカエデ科のオニメグスリ、 ニレ科のハルニレが続き、北側の外れには松の木が鬱蒼と生い茂り、エゾキケマン、 ミスミソウ、エンゴサク、 クサノオウ、テンナンショウ、ナズナ、フクジュソウが自生しています。
一方、小川の左手にはさまざまな落葉広葉樹があり、カエデ科の樹木が多いことから秋になると素晴らしい紅葉の風景が広がります。

麗水旧港海洋公園(여수구항 해양공원)

麗水旧港海洋公園(여수구항 해양공원)

2020-08-13

全羅南道 麗水市 中央洞

麗水(ヨス)旧港海洋公園は、2001年から麗水港湾庁が麗水旧港の海岸を整備し、市民の憩いの場として造成した公園です。
将軍島(チャングンド)や突山(トルサン)大橋、南海島(ナメド)や小さな島々が大変よく見え、すぐそばにはハメル灯台もあるほか、園内には大型公演場、釣り場、憩いの場などもあります。
熱帯地域を彷彿とさせるワシントンヤシや照明の灯りが素晴らしい風景に作り上げ、また夜になるときらびやかにライトアップされた突山大橋の夜景が眺められることから、数多くの人々が訪れる海洋公園となっています。
麗水旧港海洋公園の防波堤の突端には、朝鮮事情をヨーロッパに初めて紹介したオランダ人の船乗り・ハメルを称え建てられたハメル灯台があります。
ハメルは1653年、済州島(チェジュド)に漂流し、その後1663年7月麗水の全羅左水営に送られ雑役に従事し抑留生活を送りましたが、1666年になりようやく日本へ脱出しました。
現在のハメル灯台の位置が、まさにハメルが朝鮮を発った場所にほかなりません。
2005年3月、国際ロータリークラブ創立100周年を記念し、麗水地域のロータリークラブ関係者によりこのハメル灯台が建てられました。

ハーブビレッジ(허브빌리지)

ハーブビレッジ(허브빌리지)

2020-08-13

京畿道 漣川郡 旺澄面 北三路20番キル 37

自然と文化が溶け合い、美しい自然の品格を感じる場所・ハーブビレッジ。
空と川と林が美しい三重奏を奏でるハーブビレッジでは、およそ数百種にも及ぶ色とりどりの花々や一面に広がるハーブの香りを感じながら、憩いのひとときをお過ごしいただけます。

抱川アウラジ枕状溶岩(漢灘江国家地質公園)(포천 아우라지 베개용암 (한탄강 국가지질공원))

抱川アウラジ枕状溶岩(漢灘江国家地質公園)(포천 아우라지 베개용암 (한탄강 국가지질공원))

2020-08-13

京畿道 抱川市 蒼水面 新興里

抱川アウラジ枕状溶岩は、京畿道(キョンギド)抱川市(ポチョンシ)にある溶岩地形です。 枕状溶岩(ペゲヨンアム=Pillow Lava)はその形から丸みを帯びた枕のような形から名づけられた名称で、アウラジは二つ以上の川の流れが落ち合う場所を意味します。 アウラジ枕状溶岩は、高温になった溶岩が流れ下り、冷たい永平川(ヨンピョンチョン)の水の流れに遮られ、急激に冷却され固まった岩石です。枕状溶岩は陸地で発見されることが稀で、大部分は大量の水が存在する海の中で形成されます。

紺岳山つり橋(감악산 출렁다리)

紺岳山つり橋(감악산 출렁다리)

2023-07-19

京畿道 坡州市 積城面 雪馬里 48-6

紺岳山(カマクサン)は京畿(キョンギ)五岳の一つで、岩の間から黒と青の光が共に放たれることから名づけられた山です。
紺岳山のトレッキングコース・紺岳山トゥルレキルのスタート地点にある吊り橋・紺岳山つり橋は、道路によって山が寸断された雪馬里(ソルマリ)の谷を結び、分断された紺岳山を再び結びつける役割を果たしている橋でもあります。
紺岳山つり橋は、韓国最長の150mにもおよぶ無主塔山岳懸垂橋で、自然との調和を考慮し設計された橋です。

水原チキン屋通り(수원통닭거리)

水原チキン屋通り(수원통닭거리)

2024-01-29

キョンギ道スウォン市パルダル区チョンジョロ800ボンギル16

小さな路地に長さ100メートルにわたって形成されている水原(スウォン)チキン屋通りには、1970年から営業している元祖の店から新しくできた店まで11軒ほどのチキン屋が軒を連ねています。大釜に油を注いで鶏肉を揚げるのが水原チキン屋通りの伝統で、メニューはフライドチキンとヤンニョムチキンだけですが、最近のチキンとは違ったおいしさがあり人気を集めています。チキン屋通りには、1970年代に露店台に置いた鶏籠から生きた鶏を取り出し、その場でさばいて揚げていた頃からずっとここでチキン屋を営んでいる「メヒャントンダク」をはじめ、この路地で有名な「ヨンソントンダク」や「チンミトンダク」などがあります。リーズナブルでボリューム満点なのに加え独特の味がすることから口コミで広まり、全国各地から客が訪れて賑わいます。

臨津江柱状節理(漢灘江国家地質公園)(임진강 주상절리 (한탄강 국가지질공원))

臨津江柱状節理(漢灘江国家地質公園)(임진강 주상절리 (한탄강 국가지질공원))

2020-08-14

京畿道 漣川郡 嵋山面 東梨里

漢灘江柱状節理は、臨津江(イムジンガン)と漢灘江(ハンタンガン)が落ち合う合水(ハプス)モリ(都監浦=トガムポ)から北へ臨津江を遡ったところにある、屏風を広げたかのような美しい垂直の柱状節理が数キロメートルにわたり発達している韓国でも唯一の場所です。
北韓の平康郡(ピョンガングン)オリ山(鴨山)や680m高地から噴出した溶岩は、古の時代の漢灘江の低地を埋め尽くし、鉄原(チョロン)から抱川(ポチョン)、漣川(ヨンチョン)に至る一帯に広大な溶岩地帯を形成しました。
臨津江と落ち合う地点から、溶岩は臨津江上流へとさかのぼり、冷え固まり玄武岩の地層を形成したのです。
火山活動が終わり、溶岩が固まってできた地層は川の浸食により削られ、川の流れに沿って幾何学的な模様となった玄武岩の柱状節理が形作られたのです。

節理は、岩石の表面に発達するわずかな割れ目(またはひび)を言いますが、浸食を受けると、この割れ目が開き岩石が割れます。柱状節理は縦方向に長い節理を指しますが、その大半が玄武岩で最も発達することが明らかになっています。
玄武岩は溶岩が冷えて固まる際、発生する収縮作用により、中心点に沿って四角形あるいは六角形の形で垂直の節理が発達し、浸食を受けると、六角形の石柱が次第に崩れ落ちていき落ちていき、美しい柱状節理の絶壁が形作られていきます。
秋になると、柱状節理の絶壁がツタやタンチョウソウ(イワヤツデ)が色づき、夕陽でより赤く映え、赤壁(チョッピョク)とも呼ばれています。

<出典:漢灘江地質公園>

益山 春浦里 旧日本人農場家屋(익산 춘포리 구 일본인 농장 가옥)

2024-04-07

チョンブク特別自治道 益山市 春浦面 春浦4キル 48

登録文化財第211号 益山 春浦里 旧日本人(細川)農場家屋

益山春浦里 旧日本人(細川)農場家屋は、全羅北道(チョルラプクド)益山市(イクサンシ)春浦面(チュンポミョン)春浦里にある、かつて日本人が所有していた旧農場の家屋です。
この農場家屋は2005年11月11日に登録文化財第211号に指定され、現在ではアン・サムギル氏の所有となっています。益山春浦里旧日本人農場家屋は1940年代に農場内に建てられた二階建ての木造家屋です。
建築面積106.78平方メートルの日本式の木造家屋で、全羅北道地域を代表する大規模農場・細川農場内にあった建物です。当時のこの建物は細川護熙元日本国内閣総理大臣の祖父・細川護立が所有しており、日本人の小作管理人が住んでいました。全羅北道が農業収奪地域であった当時の春浦の状況が垣間見れる建物となっています。
建物1階は正方形に近い平面となっており、「フ」の字型となった廊下に沿って部屋が配置されています。2階には外の景色が眺められるようバルコニーのように突出した作りの部分もあり、特徴的な外観となっています。
建物の屋根は日本式の瓦屋根葺きの入母屋屋根となっており、外壁は板張りとなっています。
建物内部はその後韓国人が居住しリモデリングされましたが、現在は空き家となっています。
玄関に入ると、すぐ2階へ上がる階段があります。階段の真横には廊下があります。1階は建築当時、畳部屋となっていましたが、その後オンドル部屋となり、また仕切り壁も取り払われるなど大規模な改築がなされました。
しかし、2階部分は建築当時の広々とした畳部屋が残っており、また押入れや床の間も当時そのままに残っています。部屋の手前にはバルコニーのような空間があり、鉄製の欄干を設けています。
益山春浦里旧日本人農場家屋はこの地域の近現代史の一端を垣間見ることができる建物で、一部修理や改築は行われましたが、全体的には原型を留め、郷土史的、居住史的、建築的観点からも重要な価値を持つ建物と言えます。

月精橋(월정교)

2023-03-21

キョンサンブク道キョンジュ市キョドン274

月精橋(ウォルジョンギョ)は、慶尚北道(キョンサンプクド)慶州市(キョンジュシ)校洞(キョドン)にある統一新羅時代に架けられた橋です。この橋は朝鮮時代に失われてしまいましたが、2018年4月、韓国国内最大級の木造橋として復元されました。
『三国史記』によれば、この月精橋は、統一新羅時代の760年に造られたと記録されており、慶州月城(ウォルソン)と南山(ナムサン)を結ぶ橋でした。1984年11月26日から1986年9月8日まで、2回にわたって復元工事のための情報収集及び発掘調査を行い、その結果、建設当時の月精橋が木造の橋であったことが初めて判明しました。この調査をもとに復元のための設計図を引き、出来上がった設計図を基に2008年から2013年まで復元工事を実施、全長66.15メートル、幅13メートル、高さ6メートルの橋が復元されました。2016年4月からは橋の両端の2つの門楼の建設が始まり、2018年4月に完成しました。門楼の2階には出土した遺物や橋の建築の歴史を紹介するデジタル展示館があり、月精橋の歴史や復元の過程の映像を見ることができます。慶州市の新羅王京8大核心遺跡復元整備事業のなかで初めて完了した月精橋復元事業は、今後行われる皇龍寺(ファンニョンサ)、新羅王宮、チョクセム地区、新羅坊里制などの復元整備工事の参考になるものとみられます。