江華 徳津鎮(강화 덕진진) - エリア情報 - 韓国旅行情報

江華 徳津鎮(강화 덕진진)

江華 徳津鎮(강화 덕진진)

13.6Km    2024-09-25

仁川広域市 江華郡 仏恩面 徳津路34
+82-32-930-7074

仁川広域市江華郡仏恩面徳津里にある「鎮」であり、江華12鎮堡のひとつです。丙寅洋擾、辛未洋擾時に激戦地となったところで、現在は門楼、砲台、城郭、墩台が残っており、史跡に指定されています。

江華郷校(강화향교)

江華郷校(강화향교)

13.7Km    2024-09-20

仁川広域市 江華郡 江華邑 郷校キル 58

1127年(仁宗5)3月に賢儒の位牌を安置、位牌を祀り地方の人の教育のために高麗山の南方に郷校が建てられました。1232年(高宗19)に現在の甲串里に移されましたが、蒙古軍の侵攻により再び西島面に移されました。その後、江華郡へと移され、1624年(仁祖2)に江華留守(地方官)の沈悅が松岳山(現在の北山)の横に復元しました。1629年には江華府尹の李安訥(イ・アンヌル)が明倫堂を設立し、1688年(粛宗14)に留守の閔蓍重(ミン・シジュン)が 南門の近くに移しました。1731年(栄祖7)には、留守の兪拓基(ユ・チョッキ)が現在の位置に移し、1766年に留守の李溵(イ・ウン)が修復すると同時に小東門の外にあった碑石を現在の位置へ移しました。京畿道の文化財資料に指定されており、大正殿、明倫堂の東廡、西廡、祭器庫、厨房などが現存しています。前面5間、側面3間の切妻屋根から成る大正殿には五聖、十八賢の位牌が安置されています。朝鮮時代には国家から田畑や労賃・典籍などの支給を受け、教官が教育を行いましたが、現在は教育は行われておらず、春や秋に釈奠、1日・15日に焼香を行い、1名の典校と数名の掌議が運営を行っています。

江華風物市場(강화 풍물시장)

江華風物市場(강화 풍물시장)

13.7Km    2025-06-09

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑チュンアンロ17-9

在来市場である江華風物市場は、江華民俗場名所化事業により現代化され、2007年に新築されました。市場周辺の空き地や道路沿いにおよそ300ほどの露天市が開かれ、近くには江華人参センターや土産物センターもあり、見どころが多いエリアです。正月テボルム(旧暦1月15日・小正月)の直前頃になると、露天市にはさまざまなナムルや落花生、胡桃などのナッツ類やさまざまな野菜など、ないものはないというほどの品物が並びます。市場の1階にはさまざまな業種の店がある風物場、刺身センターがあり、鮮度のよい刺身を食べることができます。2階は同じくさまざまな店がある風物場や食堂があり、江華島を巡る旅の途中で、あるいは旅の終わりに腹ごしらえをするのにオススメです。2と7のつく日には風物市場を中心に江華邑五日市も開催されます。

龍興宮(용흥궁)

龍興宮(용흥궁)

13.7Km    2022-07-05

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑トンムンアンギル21ボンギル16-1

朝鮮第25代目の王である哲宗が王位に就く前に住んでいた家で哲宗が王位に就くと江華留守の鄭基世が新しく建物を建て、龍興宮と名づけました。龍興宮は昌徳宮の演慶堂と楽善斎と同じように生活空間として造られたので素朴な感じのする建物です。境内には哲宗が住んでいた昔の家であるのを示す碑石と碑閣があります。

江華島(강화도)

江華島(강화도)

13.7Km    2023-03-21

インチョン広域市カンファ郡カンファ邑カンファデロ

江華島(カンファド)は面積410平方キロメートル、南北の長さ27キロメートル、東西の長さ16キロメートルで、韓国で5番目に大きな島です。1970年1月26日に江華橋が完成して陸地と繋がりました。その後拡張工事が行われて1997年12月31日に江華大橋となり、ソウルや仁川からの行き来がさらに便利になりました。江華島の南側にある摩尼山の頂上には檀君王倹が祭祀を行うためにつくられたという塹星壇があります。また、島の海岸や江華邑には、高麗時代から近代に至るまで数多くの国難を経験した歴史遺跡が残っています。江華島の特産物である高麗人参と花ござは海外にも広く知られています。江華島にある内可貯水池や分五里貯水池は釣り場として有名です。

江華人参センター(강화 인삼센터)

江華人参センター(강화 인삼센터)

13.7Km    2021-04-13

仁川広域市 江華郡 江華邑 江華大路335
+82-10-9314-3348

江華の高麗人参は1232年ごろに栽培が始められ、1920年代に特別区域として指定されました。韓国戦争当時、開城で高麗人参を栽培していた人々が避難しながら栽培する場所を探していたところ、江華島の土壌と気候条件が高麗人参の栽培に適していたため、ここで栽培を始めました。これが江華の高麗人参6年根の始まりです。四方を海に囲まれ、海風の影響を受ける気候条件とシルト質粘土の土壌がある江華は、高麗人参の栽培に最適です。農協では肥沃な土壌で育った良質の高麗人参を、生産から加工、流通に至るまで責任をもって消費者に提供しています。

高麗宮趾(고려궁지)

高麗宮趾(고려궁지)

13.9Km    2021-06-01

仁川広域市 江華郡 江華邑 北門キル 42

「高麗宮趾(コリョグンジ)」は高麗が39年もの間、蒙古の侵略に粘り強く抗戦した宮闕の跡です。1232年高麗高宗は、江華島に都を移し、その2年後の1234年に宮闕と官衙の建物を完成させました。1270年に蒙古と和解をし開城に都を戻した後、宮闕と城廓は崩壞しました。
1637年、江華山城が清軍に陥落したため、高麗宮の跡地には朝鮮宮殿の建物などがあったが、1866年丙寅洋擾の時フランス軍に敗退し建物のほとんどが消失し、今は東軒と吏房庁だけが残っています。ここは1977年に補修が行われ、民族の自主精神と国難克服の歴史的教訓を実現する国民教育の場として活用されています。

広城堡(광성보)

広城堡(광성보)

14.1Km    2022-07-05

インチョン広域市カンファ郡プルン面ヘアンドンロ466ボンギル27

1618年に高麗時代の外城を補修し1656年に「広城堡(クァンソンボ)」を設置しましたが、この堡の墩台は1679年に築造されたものです。1745年に完全な石城に改築され城門も作られました。広城堡は辛未洋擾(しんみようじょう)の当時最も激しい激戦地で、1871年4月24日にアメリカのロジャースが通商を要求し艦隊を率い1,230人の兵力で侵攻した時に、上陸部隊は草芝鎭と徳津鎭を占領した後、広城堡に到達し白兵戦を展開しました。朝鮮軍指揮官の魚在淵(オ・ジェヨン)将軍の元、全兵士が勇敢に戦い、砲弾が尽きると剣と槍で、刀と槍が折れると石と拳で最後の一人まで退かず捕虜にもならず壮烈な最後を遂げました。
広城堡には当時使用された大砲や砲台などが残っており、そこから見下ろす海の景色と墩台の曲線が印象的です。また、史跡に指定されており、毎年旧暦4月24日には魚在淵将軍をはじめとして、戦死した無名の勇士達のために広城祭が行われます。