仁川郵逓局(인천우체국) - エリア情報 - 韓国旅行情報

仁川郵逓局(인천우체국)

仁川郵逓局(인천우체국)

12.0Km    2018-10-26

仁川広域市 中区 済物梁路 183

仁川郵逓局(現・仁川中洞郵逓局[郵便局])は仁川広域市中区港洞(ハンドン)にある日帝強占期の建物。1982年3月2日仁川広域市有形文化財第8号に指定されました。日帝強占期の1924年、郵便業務を担当するため建てられた近代式の建物で、当時の官庁としては大きな規模です。建設当時の名称は仁川郵便局でしたが、1949年8月に仁川郵逓局と改称しました。
この当時流行した折衷主義の建築様式を単純化した建物で、総面積1,787平方メートル(約540坪)です。正面入口は建物本体から張り出される形で造られ両側に大きな柱を配置、その正面玄関上部の建物本体2階部分からは柱の上部にある屋根などの上部建造物の重さを和らげ装飾が施されている柱頭がない数本の柱で建物を支えています。
当時、行政官庁の建物は上部にドームの形をした塔屋を造るのが一般的でしたが、この建物はこの部分を省略するなど平面構造や外観の細部が基本的な形式からやや外れています。
全体的な構造は煉瓦造りですが、床はコンクリートで施工されています。外部の仕上げは外壁の下部にのみ花崗岩を二段積みにしその上の部分にはモルタルで処理し石造の模様を表現しています。
韓国戦争(1950~1953年)当時の市街戦などにより一部が破損、屋根がスラブ材からスレート葺きに改修されるなどし1957年復旧工事が完了しました。

[事後免税店] ナイキ・シンポ(新浦)本店(나이키_신포본점)

[事後免税店] ナイキ・シンポ(新浦)本店(나이키_신포본점)

12.2Km    2024-04-30

インチョン広域市チュン区ネ洞97-1

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[事後免税店] le coq sportif(ルコックスポルティフ)(르꼬끄스포르티브)

12.3Km    2024-04-30

インチョン広域市チュン区ケハンロ38-1

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永宗大橋休憩所記念館(영종대교휴게소 기념관)

永宗大橋休憩所記念館(영종대교휴게소 기념관)

12.3Km    2019-03-20

仁川広域市 西区 正西津南路 25

永宗大橋記念館は永宗大橋と西海を臨むことができる永宗大橋入口(仁川広域市西区景西洞)に位置しており、仁川国際空港高速道路の重要建造物である永宗大橋の建設に実際に使われた資材や関連映像・模型などを展示、橋梁に関するデータベースを構築・所蔵すると共に、学生や一般向けには橋梁についての全般的な理解を目的に、そして専門家向けには橋梁建設に関する専門知識や情報を提供する目的で作られた韓国国内初の橋梁科学館です。

**フォーチュンベア**
永宗大橋休憩所展示館前には大きな父熊が子熊を頭にのせているフォーチュンベアの彫刻があります。幅9.7m、高さ23.57m、総重量40トンの彫刻は世界で最も大きな鉄製彫刻物で、2014年5月23日ギネスブックに正式に掲載されました。
フォーチュンベアの足元には願いをかなえる鍵がたくさんあります。
このフォーチュンベアの由来は韓国建国の神話・壇君神話の熊女の話から始まります。人間になった母熊を懐かしみ、父熊が子熊を頭にのせて母熊を捜しているその様子に感動した神様が父熊と小熊に人間の願いを聞き入れる能力を授けたということから、この神話の父熊・子熊をモチーフにしたクマの巨大彫刻物が人々の願いをかなえてくれるということで願いをかなえる鍵を置くようになりました。


**仁川大橋記念館オープン**
永宗大橋記念館につづき、仁川中心部付近に直接繋がる第2の空港橋・仁川大橋近くにも新たに記念館がオープン(所在地:仁川広域市中区仁川大橋高速道路3)。永宗島側にある仁川大橋料金所の横に地上4階、延面積1,284平方メートルの規模で仁川大橋記念館が建設され、館内には展示室、映像館、ミュージアムカフェ、展望台などがあります。ここでは韓国国内最長の橋梁である仁川大橋の建設過程や最先端の広報、経済的波及効果などを紹介する各種資料に触れることができます。
展望台からは経済自由区域松島国際都市と仁川国際空港がある永宗島を海上を通って繋がる仁川大橋の景観を望むことができます。

仁川内洞聖公会聖堂(인천내동성공회성당)

仁川内洞聖公会聖堂(인천내동성공회성당)

12.3Km    2020-08-12

仁川広域市 中区 開港路45番キル 21-32

英国海軍従軍神父C.J.コーフ(Charles John Corfe=韓国名・高要翰=コ・ヨハン)主教など宣教師6人は1890年9月29日仁川港にその第一歩を記し、朝鮮における宣教活動を開始しました。
この内洞(ネドン)聖公会聖堂の建物は翌年の1891年9月30日に竣工し、1902年一時、ロシア領事館として使われましたが、1904年からは聖公会神学院となり、1956年まで利用されました。
建設当時の建物は6・25戦争(韓国戦争=1950~1953年・休戦)中に焼失し、1956年6月23日に再建にこぎ着け、今日に至ります。
建物は屋根の木造トラスを除き、外壁や主な建築部材は花崗岩で強固に積み上げられた中世風の石造となっています。建物の一部には韓国の伝統的な木構造の軒様式を取り入れ、また窓や壁面部分が素晴らしい作りとなっています。

Arabesque(아라베스크)

Arabesque(아라베스크)

12.3Km    2021-10-27

仁川広域市 中区 又玄路90-1
+82-32-764-0064

2003年、サハラテントという名で開店、2007年の移転と同時に「Arabesque(アラベスク)」に商号を変更し、インド・トルコ料理店としてスタートしました。現在はアラブ・インド・トルコ料理を提供しており、韓国人だけでなく、東南アジア系の留学生、アラブ(中東)のビジネスマンにもよく利用されています。

東仁川サワラ通り(동인천 삼치거리)

東仁川サワラ通り(동인천 삼치거리)

12.4Km    2021-01-21

仁川広域市 中区 又玄路67番キル 57

東仁川駅前の仁川学生文化会館横の通り一帯がサワラ通りです。このサワラ通りは今から約40年前「仁荷の家」という食堂ができた事から生まれました。当時の仁荷の家は一般の家庭で客をもてなしており、今のサワラ通りの1本裏の通りに仁荷の家はありました。現在のように食堂として店を構えたのは約30年前で、その頃からサワラを扱う食堂がひとつふたつとでき、現在のように食堂が何件も並ぶようになりました。
サワラ通りでは当初、他の数ある料理の中のうちの1つとしてサワラを提供していましたが、特にサワラが人気を集めるようになったことでサワラを代表メニューとして扱うようになりました。
現在サワラ通りの仁荷の家の近くには、この通りで焼いたサワラを提供し始めた仁荷の家のおばあさんとおばさんの姿が描かれた壁画があります。この2人のおかげで現在のサワラ通りがあると言えます。2002年には区によりサワラ通りに指定され、通りの入口に大きく看板を掲げるようにもなりましたが、現在は大きな看板は全てなくなり各食堂ごとに特色のある看板を掲げています。この通りで食べるサワラは、店ごとの焼き方とつけて食べるソースにより若干の味の違いがあり、またサワラ以外の料理も店ごとに様々です。

インハエジプ(인하의집)

インハエジプ(인하의집)

12.4Km    2024-02-16

インチョン広域市チュン区ウヒョンロ67ボンギル57

インハエジプは、1968年創業の老舗で東仁川(インチョン)サワラ通りの元祖のお店として知られています。看板メニューはサワラ焼きで、分厚いサワラは外はカリカリ、中はジューシーに焼き上げられており、香ばしい味で客の味覚を魅了してきました。スンドゥブチゲが含まれるインハエジプコースも人気メニューです。

[事後免税店] MLB・シンポムンファ(新浦文化)(MLB 신포문화)

12.4Km    2024-05-02

インチョン広域市チュン区ケハンロ47-1 1階

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