2.5Km 2024-06-27
インチョン広域市ソ区プカンロ32ボナンギル50(ウォンチャン洞)
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2.5Km 2024-06-28
インチョン広域市ソ区プッカンロ32ボンアンギル50(ウォンチャン洞)
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2.5Km 2024-06-28
インチョン広域市ソ区プカンロ32ボナンギル50(ウォンチャン洞)
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2.5Km 2024-07-01
インチョン広域市ソ区プカンロ32ボナンギル50(ウォンチャン洞)
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3.0Km 2022-09-14
インチョン広域市ソ区ポンスデロ806
2014年9月に開幕した第17回仁川アジア競技大会の期間中、メイン競技場として使われた仁川アシアード主競技場は2011年6月に着工、2014年6月1日竣工しました。敷地総面積は63万1,975平方メートル、主競技場の延べ面積は11万3,620平方メートルで、地下1階から地上4階までの5層構造で構成され、完成当時は6万人超の収容人数を誇りました。主競技場には各種陸上競技を行うことが出来るトラックや国際規格に合わせて造られた芝のサッカー場があり、主競技場に付属する形で補助競技場や延べ面積1,415平方メートルを誇る連喜(ヨンヒ)クリケット競技場などもあります。
なお、仁川アジア大会後一部座席が撤去され、現在メインスタジアムの客席数は約3万席となっています。
3.5Km 2024-09-25
仁川広域市 西区 陶窯址路 54
+82-32-440-4063
1970年5月に史跡に指定され、地元初の国家指定文化財となった仁川・景西洞緑青瓷窯址(インチョン・キョンソドン・ノクチョンジャヨジ)。
1984年12月9日、この場所に遺跡を保護するための広さ82.6平方メートルの保護幕舎が設置しました。ここで発掘された器種は平鉢、大皿などが主で、たらいのような形をした陶磁器・チャベギ、盤口長頸瓶、甕などが出土しました。釉薬の色は緑褐色や暗緑色で不透明で光沢がなく、表面に斑点のようなものがあるものの、これは釉薬の成分、窯の特殊構造、焼成温度などが影響したものとみられます。
斜面を利用した窯は傾斜度22度ほどの単室窯となっています。この窯址で注目すべき点は、緩やかに傾斜した窯床に、土で作った円形のトジミ(ケットク)と呼ばれる焼台を配置しているのが特徴です。
このトジミは、窯に詰めて焼く際、これから焼こうとする陶磁を置く焼台で、器ひとつひとつをその上に置き、器の底が窯床に直接触れないようにするために設けられたものです。
この焼台の形はあたかも馬のひづめのようなの形をしており、前の部分は分厚く、後ろの部分は薄く低めに作られています。
登り窯のように傾斜した窯の床の上に焼台の分厚い部分を窯の傾斜の下の方に向けて置くと、器が窯の中で傾かず水平を維持することができます。つまり、窯床自体は傾斜がありますが、焼台を置くことにより窯の中に置かれた器が水平を保つように調節できるようになっています。そのため窯の下の方へ行けば行くほど焼台の高さが高くなり、その上に置かれた器が傾かないよう焼台の高さを調整しています。
このような構造の陶窯址は以前には日本でのみ2か所発見されていたにすぎなかったことから日本独自のものと思われていましたが、仁川・景西洞緑青甕窯址が発見されたことにより、今後の研究如何によっては陶窯技術の日本への伝達経緯を明らかにする貴重な史料となることが期待されています。
3.6Km 2024-09-11
仁川広域市 西区 陶窯址路 54
+82-32-560-2932
旧景西洞(キョンソドン)事務所を改築し2002年10月25日に緑青瓷陶窯址資料館を開館しました。国家史跡景西洞緑青瓷陶窯址に関する学術資料の提供および陶磁器体験教室の運営を行っている緑青瓷陶窯址資料館は1965年と1966年に4回にわたる発掘調査を行いました。
この陶窯址で焼かれた瓷器は、精選された青瓷系の薄い胎土(陶磁器の生地の土)の上に調質の緑褐色の釉薬を塗り焼いた緑青瓷器(青磁器)です。景西洞緑青瓷陶窯址は1970年5月、史跡に指定され、地元では初めての文化財となりました。
緑青瓷が生まれた年代については、諸説がありますが、新羅時代末期から高麗時代初期(9世紀から10世紀)ごろ、比較的品質に優れた日暈底青瓷が発達し地方の豪族など富裕階層に普及・広がりを見せる一方、緑青瓷器は高麗時代前期から朝鮮時代後期まで庶民の器として作られたものと見られます。
陶窯址の構造や様式を見ると、丘陵地に西南方向に向かって作られた窯床の長さは7.3m、幅1.05m、焚口の幅1.2mであまり目にすることがない小規模の窯跡です。 窯の傾斜度は22度ほどの単室窯ですが、この窯址で注目されるのは緩やかに傾斜する窯床の表面に土で作った円形のトジミ(ケットク)と呼ばれる焼台を配置している特殊な様式です。 この焼台の形はあたかも馬のひづめのようなの形をしており、前の部分は分厚く、後ろの部分は薄く低めに作られています。登り窯のように傾斜した窯の床の上に焼台の分厚い部分を窯の傾斜の下の方に向けて置くと、器が窯の中で傾かず水平を維持することができます。
このような構造様式の陶窯は日本では独自のものであると自負してきましたが、このような陶窯址が日本のみならず二か所で発見されたため、ここ仁川・景西洞緑青瓷陶窯址の発掘は、今後の研究如何によっては陶窯技術の日本への流出経路を明らかにする貴重な資料となると思われます。
・増築: 2002年9月 27日
3.6Km 2019-03-20
仁川広域市 西区 正西津南路 25
永宗大橋記念館は永宗大橋と西海を臨むことができる永宗大橋入口(仁川広域市西区景西洞)に位置しており、仁川国際空港高速道路の重要建造物である永宗大橋の建設に実際に使われた資材や関連映像・模型などを展示、橋梁に関するデータベースを構築・所蔵すると共に、学生や一般向けには橋梁についての全般的な理解を目的に、そして専門家向けには橋梁建設に関する専門知識や情報を提供する目的で作られた韓国国内初の橋梁科学館です。
**フォーチュンベア**
永宗大橋休憩所展示館前には大きな父熊が子熊を頭にのせているフォーチュンベアの彫刻があります。幅9.7m、高さ23.57m、総重量40トンの彫刻は世界で最も大きな鉄製彫刻物で、2014年5月23日ギネスブックに正式に掲載されました。
フォーチュンベアの足元には願いをかなえる鍵がたくさんあります。
このフォーチュンベアの由来は韓国建国の神話・壇君神話の熊女の話から始まります。人間になった母熊を懐かしみ、父熊が子熊を頭にのせて母熊を捜しているその様子に感動した神様が父熊と小熊に人間の願いを聞き入れる能力を授けたということから、この神話の父熊・子熊をモチーフにしたクマの巨大彫刻物が人々の願いをかなえてくれるということで願いをかなえる鍵を置くようになりました。
**仁川大橋記念館オープン**
永宗大橋記念館につづき、仁川中心部付近に直接繋がる第2の空港橋・仁川大橋近くにも新たに記念館がオープン(所在地:仁川広域市中区仁川大橋高速道路3)。永宗島側にある仁川大橋料金所の横に地上4階、延面積1,284平方メートルの規模で仁川大橋記念館が建設され、館内には展示室、映像館、ミュージアムカフェ、展望台などがあります。ここでは韓国国内最長の橋梁である仁川大橋の建設過程や最先端の広報、経済的波及効果などを紹介する各種資料に触れることができます。
展望台からは経済自由区域松島国際都市と仁川国際空港がある永宗島を海上を通って繋がる仁川大橋の景観を望むことができます。