13.0Km 9255 2022-09-23
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ148-53
臨津閣(イムジンガク)広場前の望拝壇(マンベダン)後方にある橋・自由の橋(チャユエタリ)。
1953年、韓国戦争で捕虜となった1万2,773人がこの橋を渡り南側へ帰還したことから、「自由の橋」と言われています。
元々京義線(キョンイソン)の鉄橋で、上下それぞれ1本ずつの橋がありましたが、韓国戦争中の爆撃により破壊され、橋脚のみ残っている状態でした。北に捕らえられた戦争捕虜を帰還させるため、臨津江(イムジンガン)下流(西)側の下り線にあった橋の橋脚に橋桁を架け、橋板を置いて復旧させ、この仮設の橋を完成させました。当時、捕虜らは車で京義線のこの橋の北端までやってきて、歩いてこの橋を渡りました。自由の橋は全長83メートル、幅4.5メートル、高さおよそ8メートルの規模を誇る橋です。
自由の橋は当時、木材を組んで造りましたが、特に荷重がかかる部分は鉄材も使いながら造りました。
仮設の橋であったため、建築的観点からはあまり素晴らしい点はありませんが、「自由への帰還」という象徴的な意味において、韓国戦争を代表する戦争遺産と言うべき橋です。
13.0Km 32866 2022-12-20
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ177
臨津閣(イムジンガク)は韓国戦争の悲劇が残る場所です。戦争の痕跡を見学し、平和の大切さを学ぶことができます。多くの戦争遺物が散在しており、青い芝生が広がる平和ヌリ公園や展示館もあり、多くの観光客が訪れています。
臨津閣一帯は韓国戦争で激戦地となったところです。戦争が始まったころに爆破され、現在まで残っている「臨津江鉄橋」や、共産軍の捕虜となっていた韓国軍と国連軍が自由を求めて渡った「自由の橋」があります。北韓失郷民のために臨津閣が建てられ、臨津閣観光地に指定されました。現在は平和ヌリ、臨津閣平和ゴンドラ、6.25戦争拉北者記念館、遊園地などの新しい施設ができ、大規模な観光スポットとなりました。
戦争遺物
1.臨津閣
2.望拝壇
3.自由の橋
4.京義線チャンダン駅の蒸気機関車
5.参戦記念碑・追慕碑
13.1Km 720 2020-12-10
京畿道金浦市通津邑キムポデロ2337
+82-10-9241-3186
ラインホテルは金浦市通津邑から約700m離れている。専用駐車場のある4階規模のホテルで、大きくはないが清潔な施設を誇る。客室はシングルベッドが2つあるスタンダードツインルーム、大型ダブルベッドが1つあるデラックスダブルルーム、シングルベッドとダブルベッドが1つずつあるデラックスツインルーム、ダブルベッドが1つあるスタンダードダブルルームで構成されている。全室に無料WiFi、TV、冷暖房、冷蔵庫、トイレを完備した。フロントデスクは24時間運営し、荷物の保管、洗濯、Fax/コピーなどのサービスを提供する。
近くの通津邑内にはレストラン、カフェ、バーなどがある。金浦彫刻公園は車で10分、徳浦鎮と金浦艦上公園、大明浦口は約20分かかるので、海辺で散策やドライブを楽しむことができる。大明浦口魚市場では新鮮な海産物が手頃な価格で購入できる。ラインホテルから江華大橋までは約15分かかる。
13.1Km 4990 2022-09-23
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ164
+82-31-940-5281、5288
坡州長湍豆祭りは京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)市の臨津閣(イムジンガク)で開かれます。坡州付近の軍事境界線をはさんで南北に広がっていた長湍郡(チャンダングン)で栽培されていた大豆ということで長湍豆(チャンダンコン)という名前がつきました。地域特産物の消費促進及び地域経済活性化を図るために、1997年から毎年11月の豆の収穫時期に合わせて開催されています。
13.1Km 26433 2018-01-09
京畿道 高陽市 一山西区 高陽大路 662番キル 35
旧一山(イルサン)駅は1933年竣工した駅舎です。この駅舎が一山新都市の真ん中に日帝強占期の歴史として残っているということ自体が希少価値を持っています。
屋根の形態は横長の一字型の建物の平面の上に十字型の切妻造りの屋根を載せた形になっています。正面から見える切妻部分は比較的幅が広い反面、高さがなく、1930年代に建設された京釜線の他の駅舎とは対照的です。
2009年に別途新しい一山駅が作られ竣工した後、旧一山駅の駅舎は使われることなく放置されていましたが、2015年11月「高陽一山駅展示館及び新世界希望おもちゃ図書館」としてリニューアルオープンしました。一山駅展示館内部には京義線、一山駅、一山伝統市場などをテーマにしたパネルや模型、ビデオ、鉄道関連の品々が展示され外部にはギャラリー、アートトリックを活用したフォトゾーンがあります。
13.1Km 0 2024-06-27
キョンギ道コヤン市イルサンソ区コヤンデロ666アーバンスカイ103号、106号
-
13.1Km 27242 2024-02-23
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ148-33
平和(ピョンファ)ランドは、臨津江(イムジンガン)の近くにある遊園地です。バイキング、バンパーカー、メリーゴーラウンドなど20種類以上のアトラクションがあります。ドリンク、アイスクリーム、スナックなどのカード決済専用のコンビニと怪我のケアができる医務室があります。近くに平和ゴンドラがあるので、臨津江を渡りながら景色を楽しむことができます。
13.2Km 25620 2022-11-10
キョンギ道パジュ市チョリ邑サムヌンロ89
坡州三陵は恭陵、順陵、永陵の3つの陵で構成されています。恭陵は朝鮮第8代睿宗の太子妃である章順王后(1445-1461年)韓氏の墓ですが、章順王后が太子妃として亡くなったので簡略に作られました。一般的に立てられる望柱石(墓の前の両側にたてる一組の石柱)も省略されています。順陵は朝鮮第9代成宗の妃である恭恵王后(1456-1474年)韓氏の単陵です。全体的な陵の構成形式は恭陵と同じですが、順陵は王妃の陵であるため、恭陵に比べて、多くの石物(墓の前に置かれる石で作られたさまざまな物)が置かれています。恭恵王后は韓明澮の4番目の娘で、恭陵に埋葬された章順王后とは実の姉妹でした。 姉妹が揃って王妃となった例は、朝鮮王朝500年の歴史で前例がないことでした。永陵は英祖の長男である追尊王真宗(1719-1728年)と彼の妃である孝純王后(1715-1751年)趙氏の陵です。真宗は7歳で皇太子に冊封されましたが、1728年に夭折し(若くして亡くなり)ました。孝純王后は13歳で太子妃に冊封され、1751年に子のいないまま37歳で亡くなりました。