16.9 Km 30860 2020-09-08
京畿道 華城市 長安面 ファンゴルキル 56-1
京畿道華城市にある華城(ファソン)食塩温泉は塩分の入った食塩泉です。地下860メートルから湧き出る塩化物泉は中生代の恐竜の残骸や地殻変動により、地中に溜まった古代の海水が混ざった化石海水であると推定されています。
ナトリウム、カルシウム、フッ素イオン、鉄など、健康に効く16種のミネラル成分を含有し、さらっとした感触が特徴です。また、石鹸の泡が立ちにくく、塩分が汗の蒸発を防ぐため、湯冷めしにくく、保温効果に優れていることで知られています。ロビーに食塩泉が湧き出るコーナーが設けられており、飲んだり、持ち帰ることができます。露天風呂は夏季のみ入浴可。
17.1 Km 0 2024-06-27
キョンギ道ピョンテク市アンジュン邑アンヒョンロソ6ギル48
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17.2 Km 43 2021-04-01
京畿道 平沢市 安仲邑 鞍峴路西6キル 36
+82-31-681-9898
上質な肉を炭で焼いて食べられるところです。 代表的なメニューは韓牛カルビです。京畿道のピョンテク市に位置した韓食専門店です。
18.3 Km 0 2024-02-29
キョンギ道ピョンテク市ピョンテクホギル147
平沢湖(ピョンテクホ)観光団地の韓国ソリトにある韓国近現代音楽館は、博物館、図書館、記録館の機能を持つ、韓国の近現代の音楽をテーマにした初の複合文化スペースです。国楽、西洋音楽、近代と現代、大衆と民衆が共存する韓国を代表する音楽関連機関と位置付けられており、抗日・親日音楽から、独立運動、音楽教育、北韓(北朝鮮)と日本の音楽、近代の大衆音楽に至るまで、近現代の所蔵資料を活用して歴史を「音楽」という文化的な観点から新しく見つめなおして理解できるように、多彩なイベントも開催している機関です。
18.4 Km 4136 2021-06-22
忠清南道 牙山市 仁州面 牙山湾路1548番キル12
「イェンナルトルチプ」は1987年開業のウナギ焼き専門店です。ウナギ一筋で、忠清南道だけでなく、全国にもその名が知れ渡っています。以前は挿橋川を往来する地方の車が時折立ち寄る小さなお店でしたが、近隣に現代自動車牙山工場やハンソル合板工場など大小の企業が入り始めたのをきっかけに、噂が全国へと広がりました。
牙山湖をはじめとする忠清南道地方一帯から、遠くは京畿道にまで手配して、天然のものを積極的に仕入れているため、天然のウナギの真の味を味わうことができます。そのため、天然ウナギが獲れる5月から11月の期間であれば、いつでも本物の天然ウナギに出会うことがきる唯一のお店です。冬でも天然ものが時々獲れますが、冬眠時期なため天然といえども脂のノリが悪く、本来の味ではないということでお客様には出しません。養殖ものでも、水槽の水質と水温を徹底的に管理し、活きのいい状態を保つようにしているといいます。鮮度を維持するために、大変ですがほぼ毎日新しいものと入れ替えて、水槽に長く置いておかないようにしているということです。
18.5 Km 0 2024-02-29
キョンギ道ピョンテク市ヒョンドク面ピョンテクホギル167
西海へと続いている平沢湖(ピョンテクホ)。その真ん中に平沢湖芸術公園があります。湖は大きいので、海のように見えます。公園のあちこちには芸術にまつわるオブジェが設置されていて、散歩しながら見て歩くのにぴったりです。国楽の普及と国際化に貢献した国家主要無形文化財の池瑛熙(チ・ヨンヒ)氏の功績を記念する池瑛熙国楽館があり、奚琴のベンチなどが設置されています。近くにある「韓国ソリト」には韓国の伝統音楽である国楽に関する図書館や野外ホールもあるので、あわせて巡るのがおすすめです。
18.9 Km 0 2024-02-22
チュンチョンナム道アサン市インジュ面コンセ里759
牙山湾(アサンマン)防潮堤は、黄海の牙山湾に流れ込む河川を塞いでつくられた防潮堤です。耕地を拡大する目的で造成されましたが、美しい景色のため観光地化しています。西側は黄海、東側には牙山湖(アサンホ)があり、黄海側には広大な干潟が広がります。釣り、ドライブなどを楽しむことができ、日の入りの時間になると夕焼けが美しい場所でもあります。公園、展望台、展示館なども整備しています。
19.1 Km 3739 2021-07-29
忠清南道 唐津市 牛江面 ソルメ路132
「ソルメ」は忠清道でもっともよい場所といわれる「内浦(ネポ)」にあり、松の木が生い茂る小さな丘という意味です。1821年8月21日、韓国キリスト教初の司祭となった金大建(キム・テゴン)アンドレア神父はここで生まれました。その後、迫害から逃れるべく祖父のキム・テクヒョンに伴われ竜仁のハンドク洞(現在のコルベマシル)に引っ越すまでの7年間をここで過ごしました。神父の曽祖父キム・ジヌ(1814年殉教)、大おじのキム・ハンヒョン(1816年殉教)、父の金済俊(1839年殉教)そして金大建神父(1846年殉教)まで4代にわたる殉教者が生活した地でもあります。
神父はコルベマシルにおいてマカオへ留学する神学生として選抜されました。1845年上海の金家港聖堂のフェレオール主教から司祭に任命され、その年の10月に帰国、帰国後は竜仁一帯でキリスト教活動をしましたが、1846年9月死刑が言い渡され、セナムトで殉教しました(享年26歳)。1984年5月教皇ヨハン・パウロ2世が韓国を訪問した際、聖人となりました。ソルメ聖地の松の木の下には神父の銅像をはじめ記念の塔などが建てられています。下っていくと避静の家聖堂(160名収容)があり神父の遺骸が納められています。