15.6 Km 8731 2024-03-15
チュンチョンナム道アサン市オンチョンデロ1459一帯
+82-41-540-2689
牙山(アサン)には温陽(オニャン)温泉、道高(トゴ)温泉、牙山(アサン)温泉という3つの大きな温泉地が集まっています。温陽温泉は韓国最古の温泉で、道高温泉は保養温泉として有名です。牙山の北部に位置する牙山温泉は、温泉水を活用した様々な水遊び施設を備えているのが特徴です。3つの温泉地には、温泉を利用したホテル施設がたくさんあります。
15.7 Km 15223 2024-06-04
チュンチョンナムド道アサン市トゴ面トゴオンチョンロ176
保養温泉に指定されている「パラダイススパ道高(ドゴ)/Paradise Spa DOGO」は、パラダイスホテルを経営するパラダイスグループが忠清南道(チュンチョンナムド)牙山(アサン)にオープンした大型休養施設です。
総面積24,622平方メートルの敷地に最大5000人収容可能で、水治療を兼ねたバーデプールや一年を通じてあたたかい硫黄温泉でサウナが楽しめる温泉大浴場などさまざまな施設があります。
季節ごとのさまざまなテーマからなる野外イベントスパが人気で、冬は健康によい五加皮(ウコギの根皮)風呂や生姜風呂、ミカンの皮を使ったお風呂などがあります。また、温泉のほかにもキムチ作りや柿狩り、牧場体験などが楽しめる週末限定の、他では味わうことができないパッケージプログラムもあります。
15.8 Km 1471 2020-04-23
忠清南道 牙山市 道高面 道高温泉路124-23
1992年にオープンした「道高(トゴ)グローリーコンド」は、硫黄温泉で有名な道高温泉に位置しています。窓の外には道高山麓と広い平原をのぞみ、自然を満喫できる環境にあります。西海岸高速道路の開通により、アクセスも便利になりました。その他、近くには顕忠祠、独立記念館、修徳寺、カトリック聖地といった観光スポットがあります。
16.9 Km 19642 2020-01-24
忠清南道 瑞山市 雲山面 文殊コルキル201
+82-41-663-3925
文殊寺の建立年代に関しては記録が残っていないので確実な建立年代を知ることはできませんが1973年に金銅如来坐像から発見された発願文に高麗第29代忠穆王2年(1346年)という記録があり、高麗時代に建立されたと推測されています。一方、発願文の発見時にカラムシや米、麦など約600点あまりが一緒に発見されました。静寂とした山寺の雰囲気を感じることができ、春には周囲の山と牧場に桜と野生花が咲き、美しい景色を作り出します。
17.2 Km 11399 2021-08-18
忠清南道 瑞山市 海美面 南門2路143
+82-41-661-8005
海美邑城(ヘミウプソン)は、朝鮮時代の代表的な邑城に挙げられています。邑城とは、邑を囲んで建てられた平地城で、海美邑城以外にも高敞邑城、楽安邑城などが有名です。海美邑城は1491年に完成した石城で、周囲約1.8キロメートル、高さ5メートル、総面積196,381平方メートル(約6万坪)の大きな城で、東、南、西に3つの門楼を持っています。最近復元作業が進められ、社稷公園が造成されました。この地は、朝鮮末期のカトリック信者の殉教聖地として有名な場所です。カトリック迫害当時、官庁があった海美邑城では忠清道の各地域で多くの信者が捕まり拷問を受けて殺されました。時に1866年の迫害の際には、1,000人余りががこの地で処刑されたといわれています。城内の広場には大院君執政当時に逮捕されたカトリック信者が監禁されていた監獄址や、木の枝にぶら下げられてひどい拷問を受けたエンジュの木が立っています。城門の外の道路沿いには、エンジュの木にぶら下げられて拷問を受けながらも、屈しなかった信者を石の上に強く打ちつけて殺害した時に使われたという縄で縛られた石があり、カトリック信者の巡礼地となっています。城壁の周囲にはカラタチの木を植え、城を敵の兵士から守ったといわれていますが、現在はほとんどその姿を見ることができなくなりました。
17.2 Km 18889 2024-06-03
チュンチョンナム道ソサン市ナンムン面ナンムン2ロ143
+82-41-660-2697
「瑞山(ソサン)海美邑城(ヘミウプソン)祭り」の会場では昔の様子が完璧に再現され、タイムマシーンに乗って朝鮮時代に行ったような気分にさせてくれます。
イベント内容
開幕パフォーマンス、太宗大王行列再現、海美邑城ミュージカルガラ劇場、クラシック公演、邑城ピクニック、海美邑城マーケットなど
18.4 Km 24044 2023-07-04
チュンチョンナムド道タンジン市ミョンチョン面モンサンギル14
唐津(タンジン)市は瑞山(ソサン)、泰安(テアン)などと共に昔から中国に通じる重要な海道があったところです。中国との通商に重要な通路でもありましたが、同時に国防上の重要な拠点でもありました。沔川邑城(ミョンチョンウプソン)は高麗時代の忠烈王16年(1290年)に建てられたとされますが、実は百済初期から外敵の侵入を防ぐためにあったものと推定される説もあります。沔川邑城は東、西、南、北の四大門も備えた城でした。朝鮮太宗13年に再び築かれ、景宗の時代に修復されました。
沔川に邑城があったのは、ここが1914年まで唐津に次ぐ主要郡所在地だったためです。