19.2Km 2023-10-25
キョンサンナムド キムヘシ カラクロ93(グシブサム)ボンギル 40
+82-55-322-4735~6
「金海韓屋体験館」は、韓国の伝統韓屋の趣がそのまま感じられる韓屋ステイであります。母屋の客室は伝統の小物で飾られ、広々とした板の間は会議室として利用できます。サランチェの客室はこぢんまりとしていて、板の間から外の風景を楽しむのに良いです。離れ客室は、時代劇から見た昔の部屋のように大きな屏風が囲まれた伝統の敷布団があって最も古風であります。客室ごとに現代式のトイレがあり、英語、日本語の案内サービスと伝統体験のプログラムを提供しています。
19.2Km 2024-01-26
キョンサンナム道キムヘ市プンソンロ261ボンギル35
伽倻の始祖である首露王と現在のインドとされる阿踰陀国の王女だった許王后の出会いをテーマにした場所。首陵園という名称には、首露王と許王后が一緒に歩いた風雅な森という意味が込められています。伽倻時代の重要文化財である首露王陵と伽倻諸王の陵域である大成洞古墳群、鳳凰洞遺跡を結ぶ低い尾根沿いに、39,600平方メートルの生態公園が造成されています。海上王国の伽倻を表現するとともに首露王と許王后が歩いた庭園の池をイメージして造成され、伽倻時代の湿地に生息していたと推定されるオニバスやアサザなどが植えられました。静かな森と池に沿って遊歩道がよく整備されており、快適に見てまわることができます。
19.2Km 2024-03-15
プサン広域市ヨンド区テジョンロ805
051-405-2992
太宗台(テジョンデ)チャンポンは、チャンポン専門の中華料理店です。韓国のチャンポンは、魚介類や野菜がたっぷり入った中華風の辛味の麺料理で、テナガダコ一匹が丸ごと入るテナガダコチャンポンがこのお店の看板メニューです。その他にも牛のともばら肉チャンポン、酢豚なども人気メニューです。太宗台公園の近くにあるので、散歩がてら訪れるのもおすすめです。
19.3Km 2023-08-08
プサン広域市ヨンド区テジョンロ808
太宗台温泉は絶景を誇る太宗台に隣接し、太宗台砂利広場から車で3分の距離にあります。また影島蓬莱山が近くにあり温泉とともに山、海、公園を一緒に楽しめる場所に位置しています。太宗台温泉には健康風呂(水圧マッサージ)、黄土汗蒸幕、ゲルマニウム湿式サウナ、堅炭サウナ、ピラミッド風呂、露天風呂などさまざまな機能の風呂を有しており、健康増進や気分転換をはかることができます。
利用可能施設
温泉施設:健康風呂、黄土汗蒸幕、ゲルマニウム湿式サウナ、堅炭サウナ、ピラミッド風呂、露天風呂
チムジルバン:アイスルーム、堅炭塩部屋、黄土部屋/マッサージ室、睡眠室、食堂、プレイルーム、売店
ジム:約150坪の運動空間に有酸素運動・筋トレ器具配置
19.3Km 2020-04-11
釜山広域市 機張郡 長安邑 長安路 490-156
* 元暁大師の伝説が宿るところ、擲板庵*
澄んだ水が流れ、周囲から様々な音がそこはかとなく聴こえてくる韓国の寺。
一年を通じていずれの場所も素晴らしい風景で、なだらかな稜線の起伏があり、遠く東海(トンへ)の海まで眺められるここ、仏光山(プルグァンサン)もまた比べ物にならないほど素晴らしい風景となっています。
うっそうと生い茂る広葉樹の林に入ると、30分ほどで林の奥にある静かな場所にある庵にたどり着きます。足を止めてみると、奥ゆかしさを感じる香りとともに経を読む声が聞こえてきます。そうここが、悠久の古刹・擲板庵(チョクパナム)です。
仏様のようなふくよかな形をした山の頂の下にあるこの擲板庵は、新羅時代の高僧・元暁(ウォニョ)が673(新羅文武王13)年、長安寺(チャンアンサ)とともに創建した土窟で、元暁大師が神通力で、中国・唐の太和寺の数多くの大衆を救った「海東元曉拓板救衆」の逸話で特に有名な寺です。
「元暁僧侶が膳を投げ大衆を救った」(初暁擲板救衆)という宋高僧伝の記録は、擲板庵の由緒深き歴史を物語るものですが、それ以上に元暁の深い仏力が広く国の外まで伝わっていたことを示しています。伝えられているその逸話はこのような話です。
ある日の朝、西方の万里の外にある唐の法運寺には出家者・在家信者である四部の衆がいましたが、梅雨の大雨により寺の裏山が崩れてきているにもかかわらず、ずっと座っていました。これを神通力で知った元暁はその場にある膳を投げ、四部の衆をみな救ったといいます。 この言い伝えは、この擲板庵周辺一帯の多くの寺の創建とも深い関わりがあります。
擲板庵は創建当時、談雲寺(タムンサ)と呼ばれていましたが、1938年、韓国近代仏教を開創した鏡虛(キョンホ)大禅師により重修された後、長安寺に属する庵となりましたが、近年長安寺から外れ、独立した寺となりました。
澄み渡る空の下に広がる擲板庵は、悠久の歴史と創建の逸話と同様、その風景もまた大変素晴らしいものがあります。境内全体に日差しを浴びながら、長年この場所を守り続けている擲板庵は、今ではひっきりなしにやってくる登山客のかけがえのない憩いの場としても利用され、またこの一帯最高の素晴らしい水が湧き出す寺としても有名です。
しかし静かに目を閉じてじっとしていると、1400年前この場所に満ち溢れた仏の光の奥深さをも感じさせてくれる、そんな寺です。
19.3Km 2019-12-23
釜山広域市 沙下区 洛東南路1233番キル25
+82-51-220-5811
「乙淑島(ウルスクト)文化会館」は、敷地10,000坪に大劇場、小劇場、屋外ノリマダン、展示室などを備えた総合文化芸術空間です。自然と文化が調和した建築美学とともに芝生広場の彫刻作品や憩いの池など、住民の休息および文化の空間となっています。
開館日
2002年10月5日
19.4Km 2021-03-24
釜山広域市 西区 岩南公園路9
+82-51-254-2000
松島ビーチホテルは景観が素晴らしい場所にあり、全客室から海が一望できます。ホテルのすぐ近くに松島海水浴場や海辺の散策路があり、歩いて20分ほどのところに岩南公園があります。無線インターネット、24時間レセプション、コーヒーショップも完備しています。
19.4Km 2024-09-23
慶尚南道 金海市 駕洛路63番キル50
伽倻時代の代表的な貝塚として1920年に韓国の考古学上初となる発掘調査で発見された「会峴里貝塚」があります。こちらは、金官伽倻の生活様式をうかがうことが出来る遺跡地「鳳凰台」とともに2001年2月5日に史跡として拡大指定された遺跡です。また、丘陵の上には黄洗将軍と如意娘子の伝説に関わる「如意閣」や「黄洗岩」などが残っている他、伽倻時代の高床家屋や住居地なども発掘されました。
19.4Km 2024-05-10
プサン広域市ソ区ソンドヘビョンロ100
釜山松島(ソンド)海水浴場は1913年、釜山で最初に開設された海水浴場として有名で、砂浜の全長800メートル、波打ち際からの幅50メートル、平均水深1~1.5メートルです。釜山チャガルチ市場から南へ3キロメートルほど離れたところにあります。2000年から約5年をかけて海辺の整備事業を実施し、浸食により削られた砂浜を復元するとともに、噴水なども設置し海辺公園を造成しました。また、松島海水浴場の近くには水産市場や岩南(アムナム)公園などがあります。
以前は軍事保護区域に指定され立ち入り禁止だった場所を1996年4月都市自然公園として一般に開放した岩南公園や海釣りのメッカとして有名な頭島(トゥド)公園などがある松島エリア。この地域には鬱蒼と生い茂る原始林や手付かずの奇岩怪石が残り、空には釜山のシンボルでもあるカモメが舞い、その向こうに影島(ヨンド)の島影が見える穏やかな海辺の風景を楽しめます。
松島海水浴場の周辺は多くの宿泊施設やレストランをはじめ、吊橋(クルムダリ)、散策路、ボート場、駐車場など各種施設が充実しています。
松島海岸にある岩南公園は海岸生態公園となっており、松島海岸や釜山南港を一望できる展望台や総延長3.8キロメートルの散策路があり、また近くの道路沿いにはカフェや刺身店などが軒を連ねています。
釜山広域市西区(ソグ)富民洞(プミンドン)3街には韓国戦争中、臨時首都が釜山に置かれていた約3年間、臨時の大統領官邸として使われた臨時首都記念館の建物があります。釜山・松島エリアはこのように激動の歴史を歩んできた釜山の西区岩南洞将軍半島にあります。
19.5Km 2020-12-28
慶尚南道 金海市 伽倻エキル126
伽倻の成立と展開を解明するのに最も適した遺跡、大成洞古墳群
大成洞遺跡は伽倻の建国説話が込められた亀旨峰と金海貝塚で有名な会峴里貝塚の中央に位置し、東方には金首露王陵が隣接しています。公設運動場の北後方にある標高22.6メートルの「ウェッコジ」と呼ばれる丘陵を中心に形成されています。この遺跡は慶星大学博物館で1990年から1992年まで3度にわたる発掘調査をした結果、金官伽倻支配者集団の共用墓地であったことが判明しました。立地条件がいい丘陵の稜線部には王の墓とこれに相応する支配者の墓があり、傾斜面には身分が低い者の墓が形成されていました。
大成洞古墳の歴史的意味
調査された墓は全136基で、種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。この中で木棺墓が墓祭の主流でした。丘陵の稜線部に形成された大型の木槨墓は埋葬主体部の大きさと副葬された遺物の量と質から見て、3世紀後半~5世紀前半にかけて形成された金官伽倻支配者たちの墓であると推測され、特にこの遺跡の大型木槨墓の調査を通して重要な事実が明らかになりました。3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土されたという事実です。それと、筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる物が出土されたことです。このようなことから、大成洞遺跡は伽倻の成立と展開、性格、政治や社会構造を解明するのに最も適した遺跡だといえます。