9.2Km 2022-08-16
キョンサンブク道キョンジュ市ヌンナムギル10-4
「慶州武烈王陵」は、新羅の第29代王・太宗武烈王(金春秋)の陵で、慶州北西部にある仙桃山から南に伸びた丘陵の麓にあります。金春秋は、新羅半ばに即位した初の真骨出身の王で、唐との連合により、百済を併合し、統一のための基盤を整えたものの、統一への夢をかなえることなく、この世を去りました。この陵は、円周114メートル、高さ8.7メートルと比較的大きい墓です。東側に亀趺(石亀の台座)と碑首が残されていますが、武烈王の二男・金仁問が書いた「太宗武烈大王之碑」という字が刻まれており、武烈王陵ということが明らかになりました。
9.4Km 2024-11-01
キョンサンブク道キョンジュ市ヌンナムギル15
◎ 韓流旅行情報-『良くも、悪くも、だって母親』
ドラマの中でチョウ里村の住民たちが、一緒に話したり飲み食いしたり、趣味を楽しんだりした集いの場。実際に田舎村の隅にあるホットな雰囲気のカフェ兼書店で、天井の高い木造の建物なので静かに本を読むのに良い。
9.9Km 2021-05-11
慶尚北道 慶州市 外東邑 薪渓入室キル139
この陵は新羅第38代・元聖王(在位 785~798 金敬信)の墓です。慶州市内から蔚山方面に約12キロの距離にあります。円周70メートル、直径21.9メートル、高さ7.7メートルで、稜の周りにある護石には十二支神像が浮き彫りにされており、その周囲を石の手すりで取り囲んでいます。
封墳から若干離れており左右に華表石・文人石・武人石、石獅子が向かい合って立っています。武人石は西域人の顔立ちをしており目を引きます。この墓は唐の陵制度を手本としていますが、護石・十二支神像・手すり・石人・石獣など全ての面で新羅の陵の中で最も完備された形式を備えています。彫刻の手法は新羅王陵の中で最も優れたものとして評価されています。「掛陵」と呼ばれるのは墓の穴を掘る際に水が溜まり棺を掛けて埋めたという伝説からだと言われています。
10.3Km 2022-09-21
キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ437-17
「祗林寺(キリムサ)」は、慶州市陽北面の含月山にある新羅時代の寺で、16棟からなり、この時代の寺としては仏国寺に次いで大きな規模です。新羅初期に、天竺国の沙門の光有聖人が創建したと伝わっています。初めは林浄寺と呼ばれ、元暁が寺を拡大し、祗林寺に改称したと言われていますが、正確な建立年はわかっていません。
祗林寺は、毘盧舍那仏のある大寂光殿をはじめ、樹齢500年以上になる大きな菩提樹や木塔跡のある区域と、聖宝博物館、観音殿などのある区域の大きく2つの区域に分かれています。新羅・善徳女王の時代に初めて建てられた後、6回にもわたり再建された大寂光殿は、端正で勇壮です。
また、祗林寺は5種類の味のする水で有名です。五種水と呼ばれており、お茶を沸かして飲めば味が最高だという甘露水、飲むと心が落ち着くという和静水、体を丈夫にする将軍水、目がよく見えるようになる明眼水、水の色が良くカラスがついばんだという烏啄水があります。日帝強占期に将軍が生まれることを恐れ、水源を絶ったという将軍水を除く4つの水は今も残っています。
その他、祇林寺に行く途中には、12の石窟でなる骨窟寺があります。もともとは祇林寺の山内の庵子(大きな寺に付属する小さな寺)でしたが、寺が独立し禅武道の本山となり、韓国全国に禅武道を広めています。
主要文化財
慶州祇林寺乾漆菩薩半跏像(宝物)
慶州祇林寺大寂光殿(宝物)
慶州祇林寺塑造毘廬遮那三仏坐像(宝物)
慶州祇林寺塑造毘廬舍那仏腹蔵典籍(宝物)
10.6Km 2020-08-11
慶尚北道 慶州市 江東面 舎羅キル 79-19
慶州(キョンジュ)悠然亭(ユヨンジョ)は1998年4月13日に慶尚北道文化財資料第345号に指定された建物で、現在、クォン・ウンゴク氏が所有しています。 悠然亭の建物は、雲谷書院(ウンゴクソウォン)から渓谷の方へ50mほど向かった龍湫台(ヨンチュデ)の上に建てられています。
朝鮮時代末期の1811(純祖11)年、安東権氏(アンドン・クォンシ)の始祖・高麗太師の権幸(クォン・ヘン)とその子孫・権山海(クォン・サンヘ)、権徳麒(クォン・ドクリン)を祀るため、安東権氏一門が創建した建物がこの悠然亭です。
悠然亭は正面3間、側面2間の大きさで軒先の垂木が一段となっている入母屋屋根の造りとなっており、左手の空間を壁も何も作らない通間(トンカン)とし床は井桁に組んだ板の間となっています。
建物正面にはちょうど軒の真下辺りに欄干の板が取り付けられた板の間・軒檻(ホナム)があり、板の間と接する外壁には板戸を取り付け、また軒檻の上にある軒を支える円柱は薄い自然石の柱礎の上に建てられています。
この建物の特筆すべき点としては、板の間の大梁の上に格天井を設け、さらに格天井の両側に角材を下ろし、半円形の板材を45度の角度で嵌めている点です。
悠然亭は、龍湫台や鴨脚樹(アムガクス)と呼ばれる銀杏の木など周辺の風景と調和をなす、1800年代初期頃の建築手法がよく分かる建物となっています。
10.7Km 2024-02-23
キョンサンブク道キョンジュ市ヒョンゴク面ヨンダムロ477-57
コーヒー名家BOSQUEは、西慶州(ソギョンジュ)駅の近くにある大型カフェです。2020年慶尚北(キョンサンブク)道建築文化賞を受賞し、そのユニークで美しい外観が特徴的です。シグネチャーメニューはクリームラテ。コーヒー豆を直接焙煎して抽出しているため、芳醇な味わいを感じることができます。他にもガーリックパン、クロワッサンなど様々な種類のパンがあります。
11.4Km 2022-12-09
キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ101-5
祗林寺の谷間にある骨窟庵には、高い岩壁の自然洞窟を使った12つの石窟があり、磨崖如来坐像はその中でも最上部にある磨崖仏です。朝鮮時代の画家、謙斎・鄭歚(キョムジェ・チョン・ソン:謙斎は号)が描いた骨窟石窟には木造前室も描写されましたが、現在はうっすらとその跡だけが残っています。磨崖仏頭部は常套(昔韓国の結婚した男の結い上げた髷)の形をした頭と、はっきりとした輪郭、顔には細い目、小さな口、細長い鼻などそれまで作られていた仏像の形式とは少し異なる独特な姿をみることができます。立体感が目立った顔に比べて身体は平面的に表現されていましたが、現在は首と胸の上の部分が劣化などにより一部損傷しています。服のしわは主に規則的な平行線で描かれ、脇の間には腕と体の屈曲を表示したV字型の模様があります。このような特徴は867年につくられた鷲棲寺毘盧舎那仏坐像(国宝)と類似しているため統一新羅時代後期につくられたものと推定されています。
11.5Km 2021-03-17
慶尚北道 慶州市 陽北面 仏国路1208-45
+82-54-750-8700
「吐含山(トハムサン)自然休養林」は、針葉樹や広葉樹などの様々な植物が生育しており、動植物の生態系がうまく機能している自然の森です。近隣には石窟庵や仏国寺、名勝などの観光名所があり、家族連れでの自然学習や休養地として最適です。少人数から団体まで幅広く使える「森の中の家」もあります(インターネットでの予約が必要です)。
11.5Km 2023-01-30
キョンサンブク道ポハン市ナム区オチョン邑オオロ1
雲梯山(ウンジェサン)吾魚寺(オオサ)は、仏陀の奥ゆかしい香りが漂い、龍に包まれているような湖と奇岩絶壁が一幅の絵画のように調和している場所で、新羅の4大祖師を輩出した聖地でもあります。新羅時代の第26代真平王のときに創建された寺院で、当初は恒沙寺と呼ばれました。元暁大師と恵空禅師がここで修行した際、二人は仏法の力で川の死んだ魚を生き返らせることを競い合いました。1匹は死んだままでしたが、もう1匹は生き返って力強く泳いだので、その魚を自分が生き返らせたと二人とも言い張ったのです。そこで自分という意味の「吾」と「魚」の字を取って吾魚寺と名付けられたそうです。大雄殿は正面3間・側面2間の入母屋造りの多包閣で、朝鮮時代の英祖17年(1741)に建て直されました。寺院の周辺は、雲梯山の雄大な自然と吾魚池が調和した景色が壮観で、奇岩絶壁の上の慈蔵庵や吾魚寺の西側には元暁庵が建っています。大雄殿(慶尚北道文化財)、宝物に指定されている銅鐘、元暁大師の笠、その他多くの遺物が保管されています。
11.6Km 2024-02-27
キョンサンブク道キョンジュ市ヤンブク面キリムロ101-5
骨窟寺(コルグルサ)は、慶州市街と東海の間にそびえ立つ含月山(ハムォルサン)に位置している仏教寺院です。1,500年以上の歴史をもち、12の石窟に多くの仏像が保存されています。韓国仏教の 修行方法である「禅武道」の伝統を継承し、禅武道公演を観賞することができます。テンプルステイプログラムもあるので韓国のお寺文化が体験できます。