隍城公園(황성공원) - エリア情報 - 韓国旅行情報

隍城公園(황성공원)

6.7Km    2024-02-23

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンファロ431-12

隍城(ファンソン)公園は、慶州(キョンジュ)市立図書館と慶州室内体育館の近くにある公園です。公園内には立派な松と樹齢数百年の古木が鬱蒼と生い茂って森を形成しています。夏にはヤブラン群生地が、秋にはケヤキ、クヌギの古木が色づき、自然の絶景が広がります。さらに金庾信(キム・ユシン)将軍の騎馬像、国弓場、シルム場があります。周辺の観光スポットとしては慶州邑城、天馬塚(チョンマチョン)、大陵苑(テルンウォン)、ファンニダンギルがあります。

校村文化公演「新羅五伎」 (교촌문화공연 신라오기)

6.7Km    2024-12-18

경상북도 경주시 교촌길 39-2 (교동)

慶州 校村村(경주 교촌마을)

6.7Km    2025-01-06

キョンサンブク道キョンジュ市キョチョンギル39-2

国家民俗文化遺産・慶州崔富者宅(キョンジュチェプジャテク)や国家無形遺産・慶州校洞法酒(ポプチュ)がある校洞(キョドン)村(キョドンマウル)は、12代もの間、万石取りの大地主としての財産を守り、また学問にも力を入れ9代にわたり科挙の予備試験に当たる小科のひとつ覆試(ポクシ)に合格した人に与えられる称号・進士(チンサ)を輩出した慶州(キョンジュ)崔氏一門の魂が宿る場所です。
慶州崔氏一門で家訓のように継承されている原則「官職は進士以上するな、財産は万石以上蓄えるな、過客を手厚くもてなせ、凶作の年には他人の田畑を買ってはならない、崔氏一門の嫁は嫁入り後3年間木綿の服を着なければならない、 四方100里(注:韓国の1里は約400メートル)内で飢え死にする人がないようにせよ」は、真のノブレス・オブリージュがいかなるものであるかと考えさせる内容となっています。
この村は新羅時代の高僧・元暁(ウォニョ)大師との間に薛聡(ソル・チョン=新羅時代を代表する学者)を生んだ新羅29代の王・太宗武烈王(テジョンムヨルワン)の娘・瑤石(ヨソク)公主が暮らした瑤石宮(ヨソックン)があったところだといわれています。近くに新羅の始祖である朴赫居世(パク・ヒョッコセ)の誕生の逸話が残る鶏林(ケリム)や奈勿王陵(ネムルワンヌン)、慶州郷校(キョンジュヒャンギョ)、 新羅の名将・金庾信(キム・ユシン)将軍が暮らした財買井(チェメジョン)があります。

慶州 書出池(경주 서출지)

慶州 書出池(경주 서출지)

6.8Km    2021-06-08

慶尚北道 慶州市 南山1キル 17

この蓮池は文字の書かれた封筒が出てきたことから書出池と呼ばれています。
水量 7,021平方メートル

慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])

慶州歴史遺跡地区[ユネスコ世界遺産](경주역사유적지구[유네스코 세계문화유산])

6.8Km    2025-03-12

キョンサンブク道キョンジュ市テジョンロ757

2000年11月、ユネスコ世界遺産に登録された「慶州(キョンジュ)歴史遺跡地区」は、新羅時代の古都である慶州の歴史と文化がそのまま残された遺跡地域です。遺跡の性格によって、5つの歴史遺跡地区に分かれています。まず、新羅の仏教美術の宝庫である南山地区です。慶州の南山は野外博物館と言われるほど、新羅の息遣いが聞こえることろで、新羅王朝が終わりを遂げた鮑石亭や塔谷の磨崖彫像群、天龍寺址の三層石塔、七仏庵の磨崖石仏、仏谷の石仏坐像など、37の仏教遺跡があります。次に、新羅千年王朝の王宮であった月城地区です。鶏林、新羅王宮の別宮であった東宮と月池、そして東洋最高の天文施設である瞻星台などがあります。3つ目は新羅王や王妃、貴族たちの古墳群分布地域である大陵苑地区です。区画によって、路東里古墳郡、路西里古墳群、皇南里古墳群、五陵古墳群、財買井などがあり、墓の発掘調査で当時の生活を把握できる金冠、天馬図、土器など、貴重な遺跡が出土しました。4つ目は新羅仏教の精髄である皇龍寺地区で、皇龍寺や芬皇寺の石塔が保存されています。そして、5つ目は王京の防御施設である山城地区で、400年前につくられたと推定される明活山城が含まれています。

※慶州歴史遺跡地区には計52の指定文化遺産が、世界文化遺産地域に含まれています。
南山地区(史跡)
・菩提寺磨崖石仏(地方有形文化遺産)、弥勒谷石仏坐像(宝物)、茸長寺谷三層石塔(宝物)
・石仏坐像(宝物)、茸長寺址磨崖如来坐像(宝物)、天龍寺址三層石塔(宝物)
・南澗寺址幢竿支柱(宝物)、南澗寺址石井(文化遺産資料)、慶州南山里三層石塔(宝物)
・慶州拜里石仏立像(宝物)、潤乙谷磨崖仏坐像(地方有形文化遺産)、三陵(史跡)
・仏谷石仏坐像(宝物)、神仙庵磨崖菩薩半跏像(宝物)、七仏庵磨崖石仏(宝物)
・塔谷磨崖彫像群(宝物)、慶州南山三陵渓石造如来坐像(宝物)
・三陵渓谷磨崖観音菩薩像(地方有形文化遺産)、三陵渓谷磨崖石迦如来坐像/線刻如来坐像(地方有形文化遺産)
・三陵渓谷線刻六尊仏(地方有形文化遺産)、笠谷石仏頭(地方有形文化遺産)、寝息谷石仏坐像(地方有形文化遺産)
・列岩谷石仏坐像(地方有形文化遺産)、薬水渓谷磨崖立仏像(地方有形文化遺産)
・白雲台磨崖石仏立像(地方有形文化遺産)、鮑石亭址(史跡)、慶州南山城(史跡)、書出池(史跡)
・逸聖王陵(史跡)、定康王陵(史跡)、憲康王陵(史跡)
・奈勿王陵(史跡)、祇摩王陵(史跡)、景哀王陵(史跡)、慶州蘿井(史跡)
・慶州南山洞石造龕室(文化遺産資料)

月城地区
・鶏林(史跡)、慶州月城(史跡)、東宮と月池(史跡)、瞻星台(国宝)
・奈勿王陵鶏林月城地帯(史跡および名勝)

大陵苑地区
・味鄒王陵(史跡)、慶州大陵苑一帯(史跡)、五陵(史跡)
・東部史跡地帯(史跡)、財買井(史跡)

皇龍寺地区
・慶州皇龍寺址(史跡)、慶州芬皇寺模塼石塔(国宝)

山城地区
・慶州明活城(史跡)

新羅文化祭り(신라문화제)

新羅文化祭り(신라문화제)

6.8Km    2024-12-20

キョンサンブク道キョンジュ市ノドン洞
+82-54-777-6782~4

新羅文化祭りは燦爛たる新羅千年の文化芸術と花郎精神を継承し、韓国の伝統文化に対するプライドを奮い立たせ、韓国文化の中心である慶州が21世紀 の世界文化をリードする文化強国となるために貢献します。祭りではストリートパレードなどの見どころや各種体験プログラム、グルメを楽しめます。

陵浦茶園(능포다원)

陵浦茶園(능포다원)

6.9Km    2024-10-31

キョンサンブク道キョンジュ市ウォンヒョロ91-3

建物の間にある低い韓屋のカフェ。映画『慶州 ヒョンとユニ』のコン・ユニが運営する伝統茶屋「アリソル」のロケ地で、オーナーの手作りの黄茶がおいしい。映画のモチーフになった春画は陵浦茶園オーナーの夫の作品で、春画を始めとした様々な絵がお店のあちこちに飾られている。

慶州スホジョン(경주수호정)

慶州スホジョン(경주수호정)

6.9Km    2024-12-19

キョンサンブクト キョンジュシ ポソクロ1068(チョンユクシブパル)ボンギル 15-15
+82-54-772-5871、 +82-10-2379-7248

慶州の大陵苑の前にある「慶州スホジョン」は、松、黄土、藁などの天然材料で建てられた韓屋のゲストハウスであります。客室ごとにトイレ及びバスルームがあって利便性を高めました。広い庭には岩のテーブルを置いて、休息と談笑の空間として活用されます。慶州駅と市外バスターミナルが徒歩5分の距離なので、公共交通機関が便利で、ファンリダンキルの近くなので慶州のホットプレスのグルメとおしゃれな店の楽しさを感じられます。瞻星台、半月城、雁鴨池などの有名観光地も近くにあります。 

慶州サンパプ屋通り(경주 쌈밥거리)

慶州サンパプ屋通り(경주 쌈밥거리)

6.9Km    2025-03-11

キョンサンブク道キョンジュ市キェリムロ9

慶州(キョンジュ)サンパプ(野菜包みご飯)屋通りは、慶州大陵苑(テルンウォン)の周辺に形成されたグルメ通りです。野菜包みご飯とは、美味しい魚料理や肉料理、手作りテンジャンで煮込んだテンジャンチゲなど、品数豊富なおかずを新鮮な包み用野菜で包んで食べる料理のことをいいます。サンパプ屋通りでは、皇南パン(小麦粉の生地に小豆を入れたパン)、チョンドゥギ(トウモロコシ粉と砂糖で作った駄菓子)など様々なおやつも味わえます。周辺の観光スポットとしては瞻星台(チョムソンデ)、東宮と月池、月精(ウォルチョン)橋、国立慶州博物館があります。

慶州大陵苑一帯(경주 대릉원 일원)

慶州大陵苑一帯(경주 대릉원 일원)

6.9Km    2024-10-16

キョンサンブク道キョンジュ市キェリムロ9

慶州 路東里古墳群

慶州(キョンジュ)中心部・路東里(ノドンリ)一帯にある古新羅時代の古墳群で、 鳳凰台(ポンファンデ)/飾履塚(シンニチョン)/金鈴塚(クムニョンチョン)などがあります。鳳凰台は高さ22m、直径82mで、皇南大塚(ファンナムテチョン)に次いで大規模な墓です。 鳳凰台の南にある飾履塚は、盛り土をした封墳の高さが6.5m、直径30mで、1924年の調査では、棺を置く槨(クァク・トッノル)を設けた積石木槨墳であることが明らかになりました。内部からは耳飾り、硝子製の玉で出来た胸飾り、銀製の帯、銀製の腕輪、環頭大刀、双龍環頭大刀、馬具、漆塗りの器などが出土しました。特に金冠や金銅冠の代わりに金銅製の履物が出土し、模様も独特で大変すばらしいものであったことから、この墓の名称も飾履塚と名付けられました。 鳳凰台の南側にある金鈴塚もやはり1924年に調査した墓で、長方形のくぼみを掘った後、底に河原の石や砂利を敷き詰めた高さ4mから5m、直径およそ18mから20mの積石木槨墳です。金冠、金製の耳飾り、金の腕輪、金製の帯、銅製の履物、鉄製の釜、漆塗りの器、硝子製の器、土器など数多くの遺物が出土しました。土器の中で、船の形をした土器や騎馬人物像の土器が異彩を放っています。この墓は規模が小さく、金冠や装身具の大きさが小さく、 殉葬された形跡があることから、新羅時代の王子の墓とみられています。飾履塚と金鈴塚は同じような規模・構造で、鳳凰台とともに深い関係がある墓とみられます。



慶州 路西里古墳群

慶州市の北西・路西洞(ノソドン)一帯にある新羅の古墳群で、現在およそ10基の大小さまざまな墓が残っています。 その中でも北側にある第130号墳は路東里古墳群の鳳凰台と対をなし、西鳳凰台と呼ばれています。路西里古墳群の内部構造は積石木槨墳と横穴式石室墳の二つに大きく分かれます。金冠塚(クムグァンチョン)/瑞鳳塚(ソボンチョン)/壺杅塚(ホウチョン)/銀鈴塚/第138号墳は新羅時代のもので、長方形のくぼみを掘った後、棺を置く槨を設け、河原の石や砂利を敷き詰めた積石木槨墳です。双床墳(サンサンフン)・馬塚(マチョン)・牛塚(ウチョン)などは墓の内部に割石で四角形の石室を造り、古墳の入口から石室までの間に羨道(ヨンド/ノルギル)を設ける横穴式石室墳で、新羅時代の様式となっています。 金冠塚は1921年に調査が行われましたが、金冠や金製の帯をはじめとしたさまざまな豪華な金工芸品が数多く出土しました。 西鳳塚は瓢の形をした双円墳の北側の墓で、鳳凰の装飾が付いた金冠が出土しました。また年代が刻まれた銀製の蓋がある器(銀盒=ウナプ)が出土し、5世紀前後に作られたものとみられます。 銀鈴塚と双円墳を形作る壺杅塚は日本の植民地支配から解放された1945年の光復以降初めての遺跡発掘で、高句麗第19代の王・広開土大王(クァンゲトテワン) を記念し、 乙卯(451)年に作られたという文字が書かれている銅製の器・銅盒(トンハプ)が出土しました。双床墳・馬塚・牛塚などは統一新羅時代初期の横穴式石室墳で、大部分盗掘され、詳しいことは分かっていませんが、双床塚からは統一新羅時代の土器の破片、馬塚からは馬の骨や鞍の一部などが出土しました。 路西里古墳群は路東里古墳群と似た性格の積石木槨墳と前期石室墳が混在し、墓の形態が移りゆく過程を示しており、これは慶州地域の墓の変遷を知ることができる、重要な史料と高く評価されています。



慶州皇南里古墳群

慶州市庁舎南の反対側一帯にある古墳群で、味鄒王陵(ミチュワンヌン)をはじめ、およそ250基の古墳があり、古墳公園となっています。 1973年には天馬塚の発掘調査を実施し、金冠及び天馬が彩色付きで描かれた白樺樹皮障泥(馬の鞍についている泥よけ)が出土、この泥よけに描かれた馬は新羅時代の絵画としては唯一最古のものとして広く知られています。現在は古墳内部に入り見学できるように復元し、一般に公開されています。また古墳のうち、最も規模が大きい皇南大塚98号墳は1973年から75年にかけて発掘され復元されたものですが、この古墳の発掘により統一新羅以前に積石木槨墳や小型石槨墳が混在していたことが明らかになりました。


沿革

慶州市内の皇南洞一帯に分布している新羅時代初期の墓で、一部はは大陵苑区域の中にあります。日帝強占期(1910~45年)につけられた通し番号90~114、151~151号である円形に土を盛り上げた30基の墓です。大きな墓は積石木槨墳で、周囲には封墳がなくなった小さな墓があります。大陵苑の中には伝・味鄒王陵をはじめ、天馬塚や皇南大塚などがあります。1973年に発掘調査された天馬塚は直径47m、高さ12.7mで、金冠をはじめ多くの遺物が出土しました。 当時天馬塚が描かれた馬の鞍についた泥よけ・障泥(チャンニ)が出土したため、「天馬塚」と呼ばれ、現在ではっその内部が一般に公開されています。また、1973年から75年にかけて発掘調査された皇南大塚は南北の長さが120m、東西の幅が80m、高さ23mの巨大な双円墳で、南側の墓からは金銅冠や男性の骨の一部、そして多くの遺物が出土しました。 北側の墓からも金冠や夫人帯という文字が刻まれた銀製の帯など多くの遺品が出土しました。南側の墓に埋葬された人物は男性、北側の墓に埋葬された人物は女性で、夫婦の墓をくっつける形で造ったものとみられます。