観光 - 韓国旅行情報

江華島制赤峰平和展望台(강화도제적봉 평화전망대)

江華島制赤峰平和展望台(강화도제적봉 평화전망대)

2021-07-26

仁川広域市 江華郡 両寺面 展望台路 797

江華平和展望台は、一般人の出入りが厳戒に統制されていた仁川広域市江華郡(カンファグン)両寺面(ヤンサミョン)鉄山里(チョルサンリ)の民間人統制線(民統線)北方地域の林野にある展望台です。
他の地域では見ることのできない北韓の独特な文化や現状を間近で感じられるよう、2006年末から地上4階建て地下1階の展望台建設に着手し、2008年9月5日にオープンしました。
4階建ての建物には地下と4階部分に軍部隊関連施設、1階には江華特産物と北韓の特産物などを販売している売店、食堂、管理事務所、統一念願所、休憩所などがあります。2階には高性能望遠鏡のほか、戦争の惨状と痕跡を垣間見ることができる展示室、3階には北韓を一望できる展望施設、そして悪天候の日でも映像を通して北韓の風景などを見ることができるスクリーン施設が整っています。2階の展示室では、江華の国防体験や北韓の挑発、南北軍事力の比較、韓国の統一政策に関する展示を見ることができます。この他、終わることのない戦争と韓民族統一に向けた道のり、韓国戦争(1950~53年・休戦)当時の背景と国内外の戦争勃発過程、そしてその後の被害状況などを映像を通して見ることができる施設もあります。
北韓展望室からは前方約2.3キロメートルの北韓側の海岸に北から南へと注ぐ礼成江(イェソンガン)、開城(ケソン)工団、臨津江(イムジンガン)、漢江(ハンガン)が合流する地域、南韓側の金浦(キンポ)愛妓峰(エギボン)展望台、坡州(パジュ)烏頭山(オドゥサン)統一展望台、一山(イルサン)新市街地、中立地域であるナドゥル島予定地、北韓住民が暮らしている様子や宣伝用の偽装村、開城工団塔、松岳山(ソンアクサン)などを眺めることができます。

規模:敷地面積9,975平方メートル、延べ面積2,277平方メートル(地上4階建て・地下1階)

※民間人統制地域
非武装地帯の南端にある南方限界線を境に南側へ5キロメートルから20キロメートルの幅で設定された民間人統制区域。民間人出入統制線とも呼ばれます。
1953年の休戦以降、南北の間には軍事分界線が引かれ、その南北それぞれ2kmの幅に非武装地帯(DMZ)を設定、南韓側にはさらにそこから民間人統制地域を設定しています。

水落山(수락산)

水落山(수락산)

2024-02-29

ソウル特別市ノウォン区サンギェ洞サン1-1

ソウル周辺には様々な名山がありますが、中でも水落山(スラクサン/638メートル)はいつ登ってもその季節ならではの良さを見せてくれる山です。ソウル市と京畿道議政府市、南楊州市別内面の境にあり、水落山の南側には仏岩山、西側には道峰山があります。様々な滝や新羅時代に建てられた興国寺、朝鮮時代に建てられた内院寺、石林寺、蕢山亭などの名所が点在しています。

水落山の様々な登山ルートの中でソウル市民に人気なのはソウルメトロ4号線「タンゴゲ駅」から登り、鶴林寺と龍窟庵を経由する道です。仏岩山につながる稜線は春はつつじの名所となります。山道は険しくない方で、アクセスも便利なので休日には大勢の人々が訪れます。

龍窟庵(ソウル)(용굴암(서울))

龍窟庵(ソウル)(용굴암(서울))

2020-05-14

ソウル特別市 蘆原区 徳陵路129ガキル242

龍窟庵(ヨングラム)は水落山にある寺の中でもっとも山頂に近いところに位置し、ここには天然の洞窟があります。この洞窟が龍窟庵の始まりで、現在は釈迦牟尼仏と十六羅漢が奉安されています。100年ほど前、支配体制から排斥された修行者たちは深い山に隠れるしかなく人気のないこの洞窟は隠れ家と修行場所としてぴったりでした。こうして龍窟庵は世間に名前を知られるようになっていきました。興宣大院君の摂政から追い出された明成皇后が逃げてきてここで過ごしながら祈祷していたこともあります。その縁で龍窟庵は大々的な改築をし、寺院らしい姿に変わりました。

銀河寺(金海)(은하사(김해))

銀河寺(金海)(은하사(김해))

2021-02-22

慶尚南道 金海市 神魚山キル167
+82-55-337-0101

銀河寺(ウナサ)は慶尚南道金海市三芳洞の神魚山にあります。1900年ほど前、長遊和尚がインドから仏教を伝承してきた後に銀河寺を建てたと伝えられており、規模は大きくありませんが新羅と高麗の多くの僧侶がいた由緒深い寺院です。この寺院は映画『達磨よ、遊ぼう!』のロケ地としてよく知られています。

金海 首露王妃陵(김해 수로왕비릉)

金海 首露王妃陵(김해 수로왕비릉)

2020-04-04

慶尚南道 金海市 駕洛路 190番キル 1
+82-55-338-1330

金首露(キム・スロ)王の王妃・許黄玉(ホ・ファンオク)の墓、首露王妃陵

首露王妃陵は慶尚南道(キョンサンナムド)金海市(キメシ)亀山洞(クサンドン)にある伽倻時代の陵で、駕洛国(カラック)の始祖・金首露(キム・スロ)の王妃である許黄玉(ホ・ファンオク)の王妃陵(国家史跡第74号)です。
大型の円形土墳で、陵の前面には長大石で築台を築き、陵の前面を除き左右から後方にわたる陵の周囲にはやや陵から距離を置いて低めの石垣を築き、王妃陵を取り囲んでいます。
陵の前には1647(仁祖5)年の修築の際建てた陵碑には「駕洛国首露王妃 普州太后許氏陵」と二行にわたり刻字されています。

陵の敷地内には、崇報斎(スンボジェ)、外三門(ウェサムムン)、内三門(ネサムムン)、陵の前にある赤い色が印象的な赤門・ホンサルムンがあります。
また、通常、平地にある陵とは異なり、この王妃陵は丘のところにあります。陵の前にはインドから持ってきたものと伝えられる婆娑石塔(パサソクタプ)が残されています。
朝鮮時代初期の世宗28(1446)年に首露王陵とともに保護区域が拡大しましたが、壬辰倭乱(日本でいう「文禄・慶長の役」)の際に盗掘されたという記録があります。
現在の碑石や象石などは仁祖25(1641)年、再び整備を行った際に設けられたといいます。


首露王妃・許黄玉とは

首露王の王妃は名を許黄玉といい、首露王7(西暦48)年に16歳という歳で船に乗り駕洛国に渡来、その後王妃となり、西暦189年にこの世を去ったといいます。現在の陵は朝鮮時代の仁祖19(1641)年に修築され今の姿になりました。
王妃が亡くなる直前に、二人の息子に母の姓である許氏を名乗らせたことから、金海許氏(キメホシ)の始祖となったといいます。

金海亀旨峰(김해 구지봉)

金海亀旨峰(김해 구지봉)

2022-12-26

キョンサンナム道キムヘ市カヤロ157ボンギル31-16

亀旨峰(クジボン)は慶尚南道金海市亀山洞にある小さな峰で、1983年8月6日に慶尚南道記念物に指定され、2001年3月7日に史跡に変更されました。伽倻の始祖である首露王が降りてきたと伝えられているところです。以前はカメの頭の形をしていることから亀首峰といわれていましたが、現在は亀旨峰と呼ばれています。

順天倭城(순천왜성)

順天倭城(순천왜성)

2021-07-21

全羅南道 順天市 海龍面 新城里

順天倭城(スンチョンウェソン)は1597年の丁酉再乱(慶長の役)の時、宇喜多秀家と藤堂高虎が中心となって全羅道を攻略するために築いた日本式の城で、小西行長率いる約1万4千人の兵が駐屯し、明・朝鮮連合軍と2度に渡って激戦を繰り広げました。
順天倭城は水陸交通の要衝地で、城郭の規模は120,595平方メートル(36,480坪)、外城2,502メートル、内城1,342メートル。外郭城(土石城)3城、本城(石城)3城、城門が12門あり、剣丹山城(コムダンサンソン)側に堀をつくって海水を引き入れ、浮き橋を架けました。このことから韓国では曳橋(イェギョ)または倭橋城(ウェギョソン)と呼ばれました。

三陟 濬慶墓(삼척 준경묘)

三陟 濬慶墓(삼척 준경묘)

2020-12-17

江原道 三陟市 未老面 濬慶キル333-360

「濬慶墓(チュンギョンミョ)」は、三陟市 未老面 活耆里にある朝鮮1代目王の太祖の5代祖の墓で、陽茂将軍の墓として1899年に永慶墓と共に修築され祭閣と碑閣が建てられました。特に、周辺には青々とした松林が広がっており、森林浴を楽しむのにも最適で、近くには観光農園もあります。毎年4月20日には全州李氏の一族により祭祀が執り行われます。

金海 大成洞古墳群(김해 대성동 고분군)

2020-12-28

慶尚南道 金海市 伽倻エキル126

伽倻の成立と展開を解明するのに最も適した遺跡、大成洞古墳群
大成洞遺跡は伽倻の建国説話が込められた亀旨峰と金海貝塚で有名な会峴里貝塚の中央に位置し、東方には金首露王陵が隣接しています。公設運動場の北後方にある標高22.6メートルの「ウェッコジ」と呼ばれる丘陵を中心に形成されています。この遺跡は慶星大学博物館で1990年から1992年まで3度にわたる発掘調査をした結果、金官伽倻支配者集団の共用墓地であったことが判明しました。立地条件がいい丘陵の稜線部には王の墓とこれに相応する支配者の墓があり、傾斜面には身分が低い者の墓が形成されていました。

大成洞古墳の歴史的意味
調査された墓は全136基で、種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。この中で木棺墓が墓祭の主流でした。丘陵の稜線部に形成された大型の木槨墓は埋葬主体部の大きさと副葬された遺物の量と質から見て、3世紀後半~5世紀前半にかけて形成された金官伽倻支配者たちの墓であると推測され、特にこの遺跡の大型木槨墓の調査を通して重要な事実が明らかになりました。3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土されたという事実です。それと、筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる物が出土されたことです。このようなことから、大成洞遺跡は伽倻の成立と展開、性格、政治や社会構造を解明するのに最も適した遺跡だといえます。

看月庵(瑞山)(간월암(서산))

2022-11-10

チュンチョンナム道ソサン市プソク面カヌォルド1ギル119-29

忠清南道瑞山市浮石面看月島里にある「 看月庵(カヌォラム)」は、 看月島という小さな島にある庵です。朝鮮の太祖である李成桂の王師であった無学大師が建てた庵で、無学がここで月を眺めていた際に悟りを開いたといわれていることから看月庵と名づけられたといわれています。
看月庵は、引き潮の時は陸地に、満ち潮の時は島に変わるという珍しい位置に建っており、周辺の島々と調和を成す日没の時間と月が海の上に輝く時間は特に美しい景観を誇ります。