説明
麗水(ヨス)船所(ソンソ)遺跡は、昔、船所村(ソンソマウル)と呼ばれた造船所があったところです。高麗時代からここに造船所があり、朝鮮時代の古地図にも船所と記されています。壬辰倭乱のときに三道水軍統制営が置かれ、ここが全羅左水営(麗水)所属となりました。李舜臣(イ・スンシン)将軍の『乱中日記』により、亀甲船(コブクソン)の制作にも密接な関連があった場所であるとみられています。李舜臣将軍が優れた造船技術を持つ羅大用(ナ・デヨン)将軍とともに亀甲船を造ったところとして知られており、亀甲船は麗水地域にあった本営船所、順天府船所、防踏鎮船所の3ヶ所で建造されたものと推定されています。『乱中日記』(1592年)により、順天府船所は壬辰倭乱前から存在し、壬辰倭乱中に全羅左水営管下の順天府の水軍基地として使用されたことが分かっていますが、つくられた年代は確認できません。この遺跡には船を停泊するための施設である掘江(クルガン)や、武器を制作していたと推測される鍛冶場、刀を研いだという洗剣亭(セゴムジョン)などの跡が残っています。また、村の入口には村を守る石・ポクスが立っています。麗水船所遺跡は、兵士の訓練所であり敵の動きを監視できる天然の要塞・望馬山(マンマサン)の周辺にあります。
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駐車場施設 : あり
休みの日 : 年中無休
位置
チョンラナム道ヨス市シジョン洞