7.3Km 2024-03-12
ソウル特別市カンナム区シンサ洞一帯
新沙洞(シンサドン)カロスキルは、ソウル地下鉄3号線「新沙(シンサ)駅」から狎鴎亭の現代高校前を結ぶ2車線からなるイチョウ通り。「芸術家の通り」とも呼ばれるこの通りの周囲には、おしゃれなカフェやレストラン、デザイナー直営のお店などが軒を並べ、異国の雰囲気が漂います。若者に人気のエリアで、映画のロケ地となっている他、秋には紅葉を見に多くの人々が訪れます。
7.3Km 2024-09-04
キョンギ道コヤン市トギャン区ソデムンギル375
北漢山城(プクハンサンソン)は百済が河南慰礼城に都邑を移した際、都を守る北方の山城として、百済時代の蓋婁王5(132)年に築城しました。この時、百済の主力軍がこの山城で高句麗の南進勢力を防ぎました。
しかし長寿王63(475)年に強大な高句麗軍が北漢山城を7日間に渡り攻撃し熾烈な攻防戦の末、城が陥落、同時に百済の都も占領され、百済の王・蓋鹵王が高句麗軍に囚われの身となりその後殺されました。
この戦により百済は公州(コンジュ)・熊津城(ウンジンソン)へと遷都し、その後百済と新羅は手を結び、高句麗の南進政策を連合して戦線を張り、防ぎました。
真興王12(553)年、新羅は百済の領土であった漢城地域(現在のソウル)を新羅の領土に編入しました。
真平王25(603)年8月には高句麗の将軍・高勝(コ・スン)が新羅が主となった北漢山城を包囲・攻撃を開始、これに対し新羅の真平王は1万人の兵力を従え援軍を送り戦いました。
その後も武烈王8(661)年5月には高句麗の将軍・悩音信(ヌェウムシン)が中国東北部・沿海州にいた民族・靺鞨(マルカル)の将軍・生偕(センヘ)とともに北漢山城を20日間に渡り包囲・攻撃し熾烈な攻防戦を繰り広げました。
この時、北漢山城の城主であった冬陀川(トンタチョン)は城内にいた住民2,800人とともに決死の決戦を敢行し、山城を守りました。
主な文化財
1) 北漢山真興王巡狩碑址(史跡)
2) 磨崖如来坐像(宝物)
3) 磨崖如来立像(宝物)
4) 太古寺円証国師塔碑(宝物)
5) 太古寺円証国師塔(宝物)
6) 蕩春台城(地方文化財)
7) 燕山君墓(史跡)
7.3Km 2021-04-05
ソウル特別市 恩平区 ヨンソロ29ギル7
+82-2-355-0426
日本式の鉄板料理専門店です。おすすめはお好み焼きです。ソウル特別市のウンピョン区に位置した和食専門店です。