7.6Km 2021-08-31
ソウル特別市 鐘路区 紫霞門路1キル 32
+82-2-720-4763
ソウル特別市のジョンノ区に位置した海鮮専門店です。各種海産物をお出しするお店です。おすすめは貝の蒸し物です。
7.6Km 2024-09-12
ソウル特別市 鐘路区 社稷路12キル8
[中小ベンチャー企業部2018年「百年店」に選定]
「新安村(シナンチョン)」は1986年に開業しました。店舗は雰囲気のある韓屋構造になっており、ホンオサムハプ(ガンギエイの刺身・豚肉・キムチ包み)、ホンオテンジャンクク(ガンギエイの味噌汁)、軟泡湯(テナガダコスープ)、ピョンオジョリム(マナガツオの煮付け)などの土俗料理を全羅南道で生まれ育ったご主人が腕を振るうお店です。珍しいメニューである長い串にテナガダコを巻いて火であぶったナクチックリや、季節ごとに漬けるオリクルジョッ(粉唐辛子をまぜたカキの塩辛)、ヌマエビの塩辛、タチウオの塩辛なども味わうことができます。
2人以上で注文可能なセット定食、3人以上で注文可能なランチスペシャル定食、4人以上で注文可能なコース料理メニューがあり、人数に合わせて充実したコース料理を楽しむことができます。また、電話やホームページでの予約が可能なので、あらかじめ予約して訪問するとよいでしょう。
7.6Km 2021-04-06
ソウル特別市 中区 ソソムンロ139-1
+82-2-755-0659
地下鉄2号線「市庁駅」目の前にあるユリム麺は、50年間変わらない味を続けている店です。ここは、直接練った手打ち麺を注文と同時にゆでるため、歯ごたえが生きています。代表メニューはビビンククスで、きゅうり、にんじん、うす焼き卵、はちみつが入ったたれに7種の穀物粉末が入ったビビンククスは、香ばしくさっぱりとしているので女性に人気のメニューのひとつです。ねぎ、手作りのたくわん、カラシ、スープ、ソースがついてきます。
7.6Km 2021-02-09
ソウル特別市 中区 世宗大路 76
1982年にオープンした現代(ヒョンデ)カルグクスは、2代にわたってカルグクスを専門に扱っているお店です。スープが濃く香ばしく、近辺の会社員がたくさん訪れます。スープはイワシ、スケトウダラの頭、だし汁などをじっくり煮込んで作ります。ここに柔らかい麺とかぼちゃ、玉ねぎ、ねぎなどの野菜が加わります。その味もさることながら、ボリュームも満点。若い男性でも一杯食べたらお腹がいっぱいになる程、量が多いのもこちらのお店の特徴です。それでも足らない人には、麺とご飯を無料でサービスしてくれます。そして忘れてはならないのが、キムチ。毎日漬ける浅漬けキムチと3日間ほど熟成させたカクトゥギを一緒に味わうことができます。 辛い味が好きな人はテーブルに置いてある唐辛子を入れて食べるとさらに美味しくいただけます。
7.6Km 2024-01-29
ソウル特別市カンナム区トサンデロ81ギル14
PAIRING ROOM(ペアリングルーム)はソウル特別市江南区清潭(チョンダム)洞にあるイタリアンレストラン。建物はおしゃれな白い外観で、店内は天井が高く開放感があります。キムチ、みそ玉麹、マッコリといった韓国特有の食材とイタリア料理を組み合わせたフュージョン料理が独創的。代表メニューは貝柱のバルサミコソースとポテトピューレM、豚トロペッパーみそ玉麹パスタ、トリュフパッケリパスタで、料理に合うワインのペアリングもしてもらえます。また様々なスイーツに合ったお茶やドリンクも楽しめます。レストランの近くに世界遺産の宣陵と靖陵、蚕室漢江公園、清潭洞名品通り、狎鴎亭ロデオ通りがあるので、あわせて観光することができます。
7.6Km 2021-12-22
ソウル特別市 鐘路区 セムナン路76
2000年にオープンした「錦湖(クモ)アートホール」はクラシック専用のホールで、390席あります。左右の残響時間が調節できる開閉式残響可変機械装置で音響効果を高めています。また客席は日本の演奏ホール用のイスが設置されており、前後の客席間のスペースが広いため、ゆっくりとくつろいで音楽会を楽しむことができるようになっています。
演奏者の控え室や展示室、録音や撮影ができるスタジオなどがあり、ホールに入ると携帯が自動で切れる音波遮断装置や、障がい者のための移動式座席なども揃っています。壁面の仕上げはチェリー材、ステージやホールの床は最高級のメープルフローリングが使用されており、高級感にあふれています。また、近くを走る地下鉄の振動の影響を受けないようにホール全体がフローティングフロアシステムで設計され、高度の遮音対策も施されており、最適の音響環境となっています。
7.6Km 2021-09-01
ソウル特別市 鐘路区 社稷路 105
+82-2-722-2934
韓国人に人気のホルモン焼きを取り扱っています。 代表的なメニューはマクチャン焼きです。ソウル特別市のジョンノ区に位置した韓食専門店です。
7.6Km 2024-03-20
キョンギ道クリ市トングルンロ197
九里(クリ)東九陵は、朝鮮の首都・漢陽(ハニャン)の東側にある9つの墓を指す言葉です。朝鮮の7人の王と10人の王妃が埋葬されている大規模な王陵群となっています。東九陵は春と秋に林道が一般公開され、秋には東九陵ヒーリング文化芸術祭が開催されます。
7.6Km 2024-06-19
ソウル特別市チュン区セジョンデロ99
史跡・徳寿宮(トクスグン)は、元々王宮ではなく、成宗(ソンジョン=1457~1494年・在位:1469~1494年)の兄にあたる月山大君(ウォルサンデグン=1454~1488年)の住居として使われていました。
1592年壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)により王宮が全焼し、翌1593年、仮の王宮・行宮(ヘングン=離宮)として使われるようになりました。 壬辰倭乱により朝鮮時代第14代の王・宣祖(ソンジョ=1552~1608年・在位:1567~1608年)が都を離れ義州(ウィジュ)に避難、その後、漢陽(ハニャン=現在のソウル)へ戻ってくると、居をここ徳寿宮に構えました。 宣祖の後を継ぐ第15代の王・光海君(クァンヘグン=1575~1641年・在位:1608~1623年)は、1608年行宮となっていたこの場所で即位、1611年この行宮を慶運宮(キョンウングン)と改称し、以降7年間にわたり王宮として使っていました。しかし1615年になると、昌徳宮(チャンドックン)に居を移し、それ以降は270年に渡り、離宮として使われることになります。
朝鮮王朝第26代の王で大韓帝国時代には皇帝でもあった高宗(コジョン)(1852~1919年・在位:1863~1907年)が1896年2月からおよそ1年間、ロシア公館に一時身を寄せ、翌年、王宮に戻ってきましたが、その王宮がこの場所で、以降この場所が再び王宮として利用されることになりました。
高宗が再び王宮として使うようになり王宮の名称も再び慶運宮と呼ばれるようになり、その規模も拡大しました。そして、高宗皇帝は1907年、朝鮮王朝第27代の王・純宗(スンジョン=1874~1926年・在位:1907~1910年)に譲位した後も引き続きここに住み続け、王宮の機能は昌徳宮へと移りました。
引き続き、慶運宮に住むこととなった高宗ですが、高宗の長寿を願って、名称を徳寿宮と改称しました。
このような経緯があったことから現在、元々の慶運宮という名称を使うべきであるという声も上がっています。徳寿宮には過去、数多くの建物が存在していましたが、18,635坪(約6.2ヘクタール)の敷地に残っているのは、大漢門(テハンムン)、中和殿(チュンファジョン)、光明門(クァンミョンムン)、昔御堂(ソゴダン)、浚明堂(チュンミョンダン)、即阼堂(チュクチョダン)、咸寧殿(ムニョンジョン)、徳弘殿(トコンジョン)、そして石造殿など一部にすぎません。
徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。
* 大漢門 -大漢門は現在では徳寿宮の正門となっています。元々の名称は大安門(テアンムン)で、王宮の東門として使われていました。この大安門は1906年に再建され「大漢門」という名称がつけられました。扁額の文字は当時、漢城府(ハンソンブ=現在のソウル)判尹(パニュン=漢城府の長)を務めた南廷哲(ナム・ジョンチョル)によるものです。
* 光明門 -光明門は王の寝殿・咸寧殿の正門で、光武(クァンム)8(1904)年の大火により焼失したものを、同年再建したものです。1938年、石造殿を美術館として使い始め、貞洞(チョンドン)にあった興天寺(フンチョンサ)の梵鐘や昌徳宮の報漏閣(ポルガク)にあった自撃漏(チャギョンヌ)を現在の場所へ移した際に光明門も同時に移築して現在のところに建て直しました。
* 石造殿 -大韓帝国時代、外国の使節と接見した場所です。光武4(1900)年着工、隆熙(ユンヒ)3(1909)年完成した石造の建物で、朝鮮王朝で最後に建てられた大規模建造物です。建物の外観は十九世紀初めの欧州で流行していた新古典主義様式に倣ったもので、正面にある柱の上部にはイオニア様式で施しており、室内はロココ調の装飾がなされています。建物は3階建てで、1階には接見場所が、半地下階には侍従らの控室の場所として使われ、2階には皇帝のスペースとなっていました。植民地支配が終わりを告げた1945年の光復(クァンボク)以降は米ソ共同委員会会議場、国立博物館、国立現代美術館、宮中遺物展示館などとして利用されました。
* 咸寧殿 - 宝物に指定されている咸寧殿は1897年に建てられ、高宗皇帝が居を構えた建物として知られています。1904年の火災により焼失しましたが、同年建て直し現在に至っています。高宗皇帝は1919年1月21日この咸寧殿で薨去しました。その後使われなくなった咸寧殿に当時使われていた家具、書画、什器などを配置し、およそ100年前の王宮での暮らしぶりを改めて再現しました。
* 中和殿 - 大韓帝国の正殿として使われ、朝鮮王朝第26代の王・高宗の近代国家建設に懸ける自信が垣間見れる建物です。特に正殿内には御座の真上の天蓋を見ると、龍が二匹描かれているのが確認できますが、これは正殿の天井の龍のような模様となっており、徳寿宮が大韓帝国皇帝の皇宮であったことを感じされます。 現在残っている中和殿は1902年に重層の建物として建てられましたが、1904年の火災で焼失、その後1906年に平屋造りの建物で重建されました。
* 重明殿 - 重明殿(チュンミョンジョン)はロシアの建築家サバティ(Seredin Sabatin)の設計により1897年から1901年にかけて建築された皇室図書館です。地下1階を含む二階建ての西洋式の建物で、当初は漱玉軒(スオゴン)と呼ばれていました。2009年12月に復元され、2010年8月からは展示館「大韓帝国の運命をかけた場所、徳寿宮重明殿」として一般に公開されました。
* この他、昔御堂、浚明堂、即阼堂、静観軒(チョングァノン)、徳弘殿、報漏閣自撃漏などがあります。